志望校の決め手にカトリック教育が入っていたようですね。私は幼稚園から高校まで、仏教・キリスト教・無宗教のいずれをも子どもを通して経験しましたが、それぞれにいいところがあって、多くの子どもさんにとっては、さほど大きな影響の差はないと感じたことを申し上げておきます。
おっと、こんなことを言えば、どこかからまたしかられそうですが、現在、家族の方が特に決まった信仰をお持ちでないのでしたら、これももっと柔軟に考えましょう。
志の高いママ友の話ですが、いなくて良かったですよ。私の地方特有かもしれませんが、ママ友は得てしてライバルです。情報の共有よりは、ライバルを油断させる話のほうが多くて、私はあまりつきあいませんでした。
教育は闘争目標ではなく、ギフト
お子さまの受験を夫婦一丸となってサポートされた件ですが、お嬢さまにとってはある意味、息が詰まる環境ではなかったでしょうか?
お嬢さまが流された涙の中には、親の強い期待と応援に応えられなかった申し訳なさも入っていたのではないかと想像します。思春期を迎える今後は、子どもに負担を与えるようなアプローチは逆効果になる場合があり、要注意です。
親が応援したくなるほど吹奏楽に頑張っておられるお嬢さまは、とても素晴らしく努力家でもあると思います。そんな娘の力をもっと信じ、「これからはそれを伸ばすのもほかのことに打ち込むのも、選択は全部、子どもに任せる」という教育方針に変更することをお勧めします。
情報を集めたり、それをお嬢さまに伝えるのも、あくまでもさり気なくタイミングを推し測り、選択も決定も責任もすべて主役はお嬢さまであることを、家族で徹底すべきです。教育は親子の闘争目標ではありません。親から子へのギフトです。ギフトは押しつけではなく、さり気なくされてこそ嬉しいものですね。
三井田様のお嬢さまの場合、親はわき役に徹し、後ろから見守るという距離のほうがうまくいくのではないかと想像します。「結果より、健康で目標にチャレンジする努力が娘にとって、充実した生活をもたらすものであれば、親はそれで十分満足」というメッセージを、食事の内容と時間に気を配ることで伝えましょう。
まずは母親が肩の力を抜いて、子どもの自主性を背後から応援することです。親のサポートも、力み過ぎればありがた迷惑なプレッシャーに早変わりするのですから。
※ ミセス・パンプキンさんへの相談はこちら
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