出井伸之さんが84歳まで仕事を続けられた理由 サラリーマンこそ冒険者、会社は挑戦できる場

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だけど、僕はいい加減な軽口を叩いたわけではありません。実際にソニーでは、コンピュータの開発を進行させていました。だから、僕の言葉にはちゃんとした裏付けがあったのです。

後日、僕は経営会議に呼ばれそこで盛田さんに、「コンピュータをやってくれ。簡単にできるんだろ?」と言われました。この一言で、僕の新たな肩書が「コンピュータ事業部長」に決まりました。

まだソニーが小さな会社だったからこうしたことが許された。常にサラリーマンとしての冒険のタネ、挑戦のチャンスがゴロゴロしていた会社だったとも言えます。

自ら手を挙げてオーディオ事業部長になり、その後、上からの命令でコンピュータ事業部長になったわけですが、いずれにせよ、文系の社員が、こうした越境をしたからこそ、新しい分野に挑戦でき、サラリーマンとしての幅を広げることができたと思います。それはそのまま、サラリーマンとして自分の間口を広げ、引き出しを増やすことにつながってきたと思います。

簡単に辞めてはいけない

僕は69歳で「クオンタムリープ」という、ベンチャーを手助けする会社を立ち上げましたが、サラリーマン時代の経験があるからこそ、84歳になった今も、こうした仕事を続けることができているのです。

僕は「起業したい」という若い社員に対しては、「君は外の世界を知らないウサギだ」「もう少しソニーで頑張れ」と引き留めることがあります。僕の言う「会社の中で頑張れ」というのは、別に「定年で退職金をもらうまで会社に居座れ」とか、「年功序列にしがみついて生きていけ」といった意味ではありません。

サラリーマンの中には実際にそういう人がいるのは事実ですが、僕流に言えば、サラリーマンこそ“冒険者”になれるし、会社こそ“挑戦できる場”だということです。

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会社にはたくさんの部署があります。人事に配属されてそれが自分に向いていないと思ったら、営業にトライしてみたらいいし、営業が向いていなければ、今度は総務ではどうかと。越境することで自身の引き出しは増えるし、仕事の幅も出てくる。今まで見えなかったものが見えてきたりもする。

ただ、自分の意志だけで、会社の中を自由に異動できるわけではありません。会社の中で越境して、冒険しようと思ったら、自分の“バリュー(価値)”を高めていく必要があります。

サラリーマンには、「ワーキング・クラス」と「クリエイティブ・クラス」の2つの階層があります。「ワーキング・クラス」とは、同じことを繰り返していく立場。「クリエイティブ・クラス」とは、何かの価値を生み出す立場。

いくら順調に出世したとしても「ワーキング・クラス」のままでは自身のキャリアは広がっていかない可能性があります。なぜなら、「ワーキング・クラス」では、次から次へとかわりの人材が出てくるからです。

部長のその先、経営のステージとはまさに「クリエイティブ・クラス」です。となると、どこかで「ワーキング・クラス」から「クリエイティブ・クラス」に転換しないとなりません。だから、自分のバリューを常に意識し、それを高めるために何が必要なのかを考えることは非常に重要なことだと思います。

出井 伸之 元ソニーCEO・クオンタムリープ会長

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いでい のぶゆき / Nobuyuki Idei

1937年、東京都生まれ。1960年早稲田大学卒業後、ソニー入社。主に欧州での海外事業に従事。オーディオ事業部長、コンピュータ事業部長、ホームビデオ事業部長などを歴任した後、1995年に社長就任。2000年から2005年までは会長兼グループCEOとして、ソニーの変革を主導した。退任後、2006年9月にクオンタムリープを設立。大企業の変革支援やベンチャー企業の育成支援などの活動を行なう。NPO法人アジア・イノベーターズ・イニシアティブ理事長。

【編集部より】出井さんのご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

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