自分がプログラミングを勉強したら自分がやりたいサービスをつくれるのではないかという発想。実際にサービスインするときにその自分たちが頑張ってつくったプロトタイプがあれば、「こういうことをやりたいんだね」と、エンジニアも理解してくれる。
ジーズアカデミーは、コンピューターオタク的なエンジニアを輩出するためのものではなく、何かやりたいことがあって、やりたいことのためにプログラミングも必要だと思う人のための学校という位置づけだ。
普通の人が思いつくようなプログラムモジュールは、幾らでも公開されている。顔認識や画像情報処理のプログラミングは、コンピューターサイエンスをかなり勉強しないと書くことができないが、公開されているものを探して使えばいい。
デジハリに来る人の本質は今も変わらない
――28年間でデジタルハリウッドや集まる人はどう変わりましたか。
本質は変わらないし、来ている人たちの雰囲気もあまり変わらない。ただ、大学はそれなりに苦労した。なぜなら、18歳で入学したばかりの学生はいろいろなことが見えているわけではない。本当に好きで来ているのか、好きだと勝手に思い込んできているのかもわからない。
デジタルハリウッドが相手にしてきたのは、若い社会人が多い。一般社会に出てみて世の中を俯瞰し、「この勉強を自分がしたほうがいい」と、自分で気づいた人たちだ。そういう人たちの役に立つ場所がそれまでなかった。この30年でようやくみんながその必要性を理解してくれたと思う。
そもそも日本は、世の中がコンピューターに牛耳られていると思わずに暮らしている人が多すぎる。コンピューターが関わっていないところなんて1カ所もないのに、セキュリティの問題も含めてコンピューターが怖いとか、面倒臭いとか、そんなことばかり言っている。
いまや多くの人がFacebookやAmazonを利用しているが、裏側で全部データを取られて、広告のターゲットにされている。そういう世界にいるのだから、コンピューターをもっと身近に思ってほしかった。コロナ禍のおかげで、コンピューターを利用すれば違うライフスタイルが送れることにようやく気がついたと思う。
――杉山学長の先見性にもようやく気づいてもらえたのではないでしょうか。
僕が先端とはまったく思っていない。僕がこの感覚を身に付けたのは、メディア・ラボに行ったとき。そこでの感覚がいまだに通用するという意味では、最先端ではないかもしれない。
メディア・ラボではコンピューターに対するポジティブなイメージがあり、人間社会の境界を広げるためにはコンピューターが必要だという雰囲気がものすごくあった。その感覚を残しながら学校を運営しているのが正直なところだ。
――デジタルハリウッドはメディア・ラボに負けない存在になっていますでしょうか。
役割が違うと思っている。彼らは頭の良い人たちばかりだし、各領域のトップの人たちがいる。一方、僕たちデジタルハリウッドは、普通の人たちがいるところ。だけれども覚醒する人が出てくるところが面白い。真面目に半年とか1年勉強すれば、レベルの違うところに行けることもある。
だから研究力は大学も含めてそんなに求めてはいない。たまに出ればいいくらいで、研究開発で東大や早慶などと比べる必要もない。ただメディア・ラボのスピリットは受け継いでいると思っている。
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