「ALSでも教壇に」デジハリ学長が認識したVRの力 杉山知之学長が今、教え子たちに伝えたいこと

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開校当初のデジタルハリウッドの様子。前で教えているのが杉山知之学長 (写真:デジタルハリウッド)
1994年、社会人向けのクリエイターの養成スクールとして開校した、デジタルハリウッド。設立以来、9万人以上の卒業生を輩出し、その多くが、デザイナーやエンジニア、開発者として、国内外のデジタルクリエイティブの最前線で活躍している。2004年には日本初の「株式会社立大学院」のデジタルハリウッド大学院大学を設立(2005年には4年制の大学も設立)し、学ぶ場の範囲を拡大した。
そのデジタルハリウッド創設の中心人物で、設立以来28年間学校の最前線で指揮を執るのが、杉山知之学長だ。杉山学長は、昨年11月に筋肉の動きが徐々に低下していく難病・筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症したことを公表。車椅子での生活など行動が制限される中、バーチャル・リアリティー(VR)やメタバース技術を生かしながら、なお教育現場に携わり続けている。
そんな杉山学長にデジタルハリウッドを立ち上げた思いや、卒業生に伝えたいメッセージを聞いた。

CGを手がける人材が必要になる

――デジタルハリウッドを設立した経緯を教えてください。

設立の準備をはじめた1994年当時、一般的に使われるパソコン用のインターネットブラウザーがなく、一般の人はインターネットという言葉を知らなかった。僕らはMosaicという、UNIXの上で動くWebブラウザを使っていたが、利用者は大学の研究者やメーカーの技術者に限られていた。

電子メールはある程度普及していても、先進的な会社でも1つの部に1アドレス、下手すると1社に1つという状態。マウスでオペレーションをするシステムもまだ少なく、先進的なグラフィックデザイナーがマッキントッシュを使い始めた頃だった。

一方、僕らはナムコの「リッジレーサー」や、セガの「バーチャファイター」といったゲームセンターのゲーム機のCG(コンピューターグラフィックス)が未来だとわかっていた。それらのCG技術がいずれ、家庭用のゲーム機にも普及し、CGを手がける人材がかなり必要になると思って学校を設立した。

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