CGの学校を作ったように見えるが、最初から「デジタルリテラシー」という言葉を意識している。
社会人などは、習ったことが仕事に繋がらないとモチベーションが湧かないと思うから職業訓練所の側面を持っているが、目指してきたのは、全ての人に高いレベルのデジタルリテラシーをつけてもらうこと。21世紀は全人類がコンピューターを使いこなすようになると思っていたし、コンピューターを使えば、音楽や映像、プログラミングなど自分の言いたいことを表現できる。ネットの世界で発信できるようになれば、多くのチャンスが得られるようになると思っていた。
まさに今がそう。Instagramにすごい絵をアップすれば、それを世界の誰かが見ていて、ハリウッド映画に採用されたりする。ちょっとしたきっかけでブレークして、超一流になることがある。30年近く経って、当初の考えが現実になってきた。
デジタルに「振り回される側」から「振り回す側」に
――最初から、教育者になりたいと思っていたのでしょうか。
それはあまりなかった。20歳の頃からコンピューターを毎日使っていたが、デジタルは3カ月単位で進化していく状況で、この世界は誰にも止められない感じがしていた。だったら早く利用する側に回って、振り回されない人たちになったほうがいいのではないかと。そうしないと振り回され続けて人生が終わってしまう。多くの人が振り回す側に回らないといけないという思いのほうが強かった。
設立の最初の原点として1987年に客員研究員として訪れたボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)のメディア・ラボでの体験がある。
最初の2週間で思ったのは「この人たちずるいな」と。コンピューターをちょっといじれるだけで、世界中のトップクラスの人とやりとりしている。こんなことをアメリカの子たちだけにやらせておいたら、大差をつけられるのではという不安があった。
その差はほんのちょっとのこと。UNIXがわかって、コマンドが打てて、パネルを操作できればという世界で、難しいことではない。しかし、それが身に付いているだけでいろいろな人とコミュニケーションを取ることができ、得られるチャンスが違ってくる。早くコンピューターを使う必要性を知らせなければと思った。
――デジタルハリウッド設立時の受講生さんは、どのような方が多かったのでしょうか。
基本的には今と変わらない。ただ、最初に来た人たちはやっぱり勇気があったし、このままの人生じゃ嫌だと本気で思っていた。新しいことを身に付ければ、新しいことが始められるはずだと思っていた人が多かった。
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