また、ガボラの登場に対して取り沙汰される「非常事態宣言」などは、コロナ禍における「緊急事態宣言」をいやがおうにも想起させる。さらには、日米関係の辛辣な描写まで(「属国」という表現まで出てくる)。
この点については、かつて私がこの連載に寄せた記事=『「ウルトラQ」に2021年の中高年がハマる理由』にも書いたように、元々のウルトラシリーズが、極めて現代的(つまり当時としては未来的)なテーマを取り上げていたことに驚くのだが。
コント性の高さにも注目
しかし、今回私が最も注目した「おっさんホイホイ」性は、喜劇性、言い換えればコント性だ。白状すれば、この映画、途中から半笑いで観た。
言い換えれば、「ショートコント『日本のおっさん社会』」としての『シン・ウルトラマン』。特に後半は、おっさんのパロディ化をおっさんが笑う、極めて優秀な「コント」に感じたのだ。
まずは首相や大臣、官僚など、絶えず集団でウロウロ動いているネクタイ組が、何事も主体的に判断せず、ザラブやメフィラスに、いとも簡単に騙されてしまうこと。このあたり、昭和のサラリーマン喜劇映画によく出てくる、態度は横柄なのに中身がポンコツな上司の姿とダブる。
このメフィラス(山本耕史、好演)が最高で、「メフィラス」と書かれた縦書きの名刺を差し出したり、「河岸(かし)を変えよう」という劇的に昭和なセリフを放って、神永(斎藤工)と一緒に浅草の居酒屋で交渉を始めたり(バックに五木ひろしが鳴っている)と、昭和サラリーマンのパロディのような展開がいよいよ極まる。
それ以前に、メフィラスと神永が、並んで仲良くブランコに乗るシーンや、狩場防衛大臣(益岡徹)も参加する「ベーターボックス」の受領式典会場が紅白の横断幕で囲まれているところに、90年代のフジテレビ深夜のコント番組で見たような、シュールなコント臭が漂っている。
極めつけは、巨大化する浅見(長澤まさみ)だ。その凛々しい美しさによって、色々な意味で映画の印象を支配する長澤まさみだが、巨大化した浅見については、少なくとも私には、セクシャルというよりコミカルに見えた。そして「この映画は笑っていいんだ」という信号のように感じた。
そして、この喜劇性/コント性に気付いた途端、私は、同世代の中高年男性と、酒を飲みながら、笑いながら観たい映画だと思ったのだ。
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