理想的なリーダー像がシンプルに伝わってきます。上書きしたような原稿を読まず、誰のためにもならない言葉ではなく、国民が今、欲する言葉を選んだという演出もあおります。同時に、ドラマの愛されキャラクターがここで早くも完成します。
歴史上のリーダーたちの言葉を引用
この重要なシーンは、亡霊のように現れたエイブラハム・リンカーンが「エリートたちの家やリムジンのため、ウクライナの国民は奴隷のように働いてはいないか」と訴えかけ、鼓舞したことで生まれた言葉としても描かれています。
これもまた、ゼレンスキー大統領が各国で行っている演説の中で、ウィンストン・チャーチルやキング牧師など、歴史上のリーダーたちの言葉を積極的にかつ効果的に引用する手法とも似ています。
ドラマの中でも、たびたびさまざまな歴史上のリーダーたちが意図的に現れます。指導者としての方向性に思い悩むときに革命家チェ・ゲバラは汚職改革にハッパをかけ、古代ローマの政治家ジュリアス・シーザーは身内の裏切りを暗示し、フランス革命で断頭台に消えたルイ16世は同情を誘います。そして、「逃げろ!」とアドバイスした後、首が転がるルイ16世のくだりの演出などは、芸が細かく、ブラックユーモアたっぷりで秀逸です。
登場するのは歴史上の人物ばかりだけではありません。なかでも、“プーチン”ネタは多岐にわたります。そっくりさんまで引っ張り出され、高級時計好きを皮肉ったせりふからパンチのあるジョークまで、たびたび使われています。
ウクライナ国民ばかりか、世界中の人々も思わず笑えて、政治問題に共感できるストーリーを展開する「国民の僕」はゼレンスキーが主役を演じた話題性だけに終わらないところにこそ関心を持て、価値があるように思います。中身あってのソフトパワーであることをゼレンスキーは初めから承知のことだったのではないかと思う事実があります。
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