弟には軽い学習障害があり、母親の目はいつも弟に向いていた。乃々花さんはよく学校で賞状をもらったり、テストで100点を取ったりしていたが、一度もほめられたことがない。
一緒に住んでいた頃、乃々花さんは父親のことが大好きだった。でも離婚後は、母親も祖父母も、決して父親のことを口にしない。「もうお父さんの話はしちゃダメなんだな」と感じたし、「会いたい」とはとても言い出せなかった。
小学5年生の頃から、だんだん学校に行けなくなった。自意識が目覚めたのか、急に他人の目が気になり出し、ネガティブなことばかり考えてしまう。母親に相談しようとも思えず、ひとりでストレスを抱え込み、次第にパニック障害の発作に苦しむようになった。
「人によると思うんですけれど、私の場合はまず、鼓動がすごく大きく感じるんです。『なんかおかしい』っていう違和感があって、次に『これは何かの病気じゃないか、このまま死んじゃうんじゃないか』と怖くなる。すると今度は、本当に呼吸が荒くなり、頭が正常に働かなくなって『怖い、怖い、どうしよう助けて』という状態になっちゃうんです」
「あなたとは暮らせない」に、正直ほっとした理由
自傷行為を始めたのは、中学2年の頃だった。友達の真似をして腕を傷つけてみたところ、気分がちょっとやわらいだ。「母親にバレたら面倒なことになる」と思い、その後は太ももなど、服で隠れるところを切るようになった。
高校に入っても状況は変わらなかった。人付き合いが苦手で、周囲ともなじめない。病院で躁うつ病と診断され、処方された睡眠薬でオーバードーズをしたことも何度かある。
高校2年のときだ。学校を休み、家で一日過ごしたある夕方、「もうダメだ、死のう」と思い詰めた乃々花さんは、十数キロ先の海に徒歩で向かった。でも結局、死ねなかった。乃々花さんが家にいないと気づいた母親が学校に連絡し、警察の捜索で保護されたのだ。娘が死を考えるほど苦しんでいることを、母親はこのときようやく知ることになった。
数カ月後、今度は学校の近くにある立体駐車場の屋上から飛び降りようと、乃々花さんは思い立つ。このときも幸い実行には移さなかったが、学校では先生たちが異変に気づき、大騒ぎになっていた。結果、母親が呼び出され、保健室の先生と乃々花さんと、3人で話をすることになった。
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