アラサーのための戦略的「人生相談」--どうしたら「豊かさ」を実感できますか(その2)

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岡田監督が抱く若者への危惧

つまり、「豊かさ」とは「豊かな社会を実現しよう」という「意思と行動」の中にしかない、と私自身は考えています。これは昨年出した、拙著『スポーツマンシップ立国論』の最後のところでも述べています。

自分だけで完結せずに、自分の周りの環境に対するアクションをとるということになると、その「豊かさ」には「知識」が必要になります。そして「豊かさ」を志向する「意思」と、「行動」が必要です。その行動で、自分の周囲が「豊か」になることが必要だし、この「豊かさ」に賛同し、参画し、行動する人が増えることも、「豊かさ」の定義には不可欠だと思うんですよ。

「なぜこんな回りくどい話を最初からするか」というと、モノゴトを考えるには「How?」からではなく「Why?」からスタートすべきだからです。これも、何回も繰り返し述べています。

今の日本は確かに物質的には貧しくはありません。しかし、はたからどう見られようと、私たちには豊かであるという実感がないという事実は否定できませんね。「豊かさ」が問題になる社会は、豊かではないんですよ。となると、ここからは「社会」という漠然としたものではなく、個々人が「私」のいる身近な環境において、「豊かさ」を獲得するために努力が必要だということになるんじゃないでしょうか。

「明日は今日よりきっとよくなる」と感じることができていたハッピーな昭和が終わって、そろそろ四半世紀になります。現在の停滞した状態ではなく、上昇して動いているという実感は、かつては確かに「豊かさ」の源としてあったでしょう。

が、ここまで豊かになると、「限界効用は逓減する」という法則のとおり、差し当たって当面は大きな上昇は望めなくなります。それがどんなに「高値安定」だとしても、「上昇ではない」以上、放っておくと今後は「豊かさ」を実感できない、という状態が続くと覚悟したほうがよさそうです。

実際、大学で教えていると、学生達の多くが「欲しいもの」や「したいこと」がない、と言っています。われわれが学生の頃は、「欲しいモノばっかり」でしたけどね。しかし、「欲しいものがない」と言っているその顔は、とても「満ち足りているから」という感じからは程遠いものです。

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