戦後日韓関係を舞台裏で支えた韓国知識人の独白 知日派知識人・崔書勉のオーラルヒストリー

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韓国を代表する知日派知識人だった崔書勉氏。日本の韓国研究に貢献しただけでなく、現代史にも深く関与した(写真・小針進氏提供)
2022年5月10日、韓国に新政権が発足した。文在寅大統領から引き継いだ尹錫悦大統領は、前政権で「史上最悪」とまで言われるほど悪化した日韓関係の改善に、すでに意欲を示している。1965年の国交正常化以降、日韓には政官財学界をはじめあらゆるパイプが存在していた。さまざまな問題が日韓間で生じたときにも、陰に陽にあらゆる人脈が動員され、関係を修復してきた歴史がある。
中でも、1人の韓国人が注目される。崔書勉(チェ・ソミョン、さい・しょべん、1928~2020年)。1957年に当時の李承晩政権から迫害されて日本へと逃れ、1998年に帰国するまで東京に設置した国際韓国研究院を拠点に日本における韓国研究に貢献してきた。また、単なる学者にとどまらず、日韓現代史の表舞台で活躍した人々と深く交流し、日韓外交の怪物・フィクサーとして名をはせた人物でもある。
この崔氏が生前、日本の研究者らを前に語った内容がオーラルヒストリーとして1冊の本にまとめられた(『崔書勉と日韓の政官財学人脈』)。本書から、福田赳夫元首相と朴正熙大統領と日本財界との関係の一場面を紹介する。

金大中大統領を大事にした福田赳夫首相

――金大中(元大統領)と福田赳夫を会わせる機会をつくったと、あるところに出ていましたが。


 金大中君が国会議員になって初めて日本に来たとき、私は既に狸穴(編集者注:東京都港区)で韓国研究院をやっているときで、本当に久しぶりに私は国会議員になったことを喜んだし、彼は僕が無事に亡命して生きていることに対して喜びをお互いに交歓した。彼が、この机の4分の1ぐらいの箱を持って来て、「自分は国会で経済分科委員になったが、専売局が経済庁に入っているので、日本に来るといったら朝鮮人参をいっぱいくれた。私は東京に友達もいないし、あげる人はあなたしかいないので、あんたに全部渡す」と。私は、俄に大変な贈り物をいただいて、あのときは有効に使った記憶があります。

彼が何日か予定に従って行動した後、再び私のところに来まして、「私が日本に来たところで、誰か将来つきあうことによって韓国のために、私のためになる人はいないかね」と言うので、「福田赳夫さんだったらどうかね」と言ったら、「そんな人に会えるの?」というんです。「連絡してみる」と。それで福田赳夫先生に紹介したら、こいつが口が上手でしょう。べらべら喋って、あのときはあんまり反政府で固まっていない、生ぬるい時代ですから内容は激しくはなかったけれども、「韓国は38度線を守っているので、日本は韓国に援助をするのはあたりまえ中のあたりまえだ」と、こんな誰も言う話をまたするから福田先生が聞き飽きちゃって、「ああ、よくわかりました。ところであなた、いまは幾つ?」「39」とか何とか言ったら、「いやあ、お兄さん」と。突然お兄さんと呼ばれて金大中はびっくりして、「何がお兄さんです」と。私もびっくりしたら、「私は明治39年生まれだけれども、あれ以来年をとっていないから、お兄さん。39だから自分より1つ上だ」というので、「1つ上のお兄さん」と言って、金大中には非常に印象深く植えつけた会合でした。僕は、「おまえ、38度線はもうみんな聞き飽きているよ。あれはもう二度と言うな」と言ったら、「いや、私は韓国人として言うのはそれしかないじゃないか」というのが、最初の頃でした。

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