そこに西洋と中国のはざまで先進文明を摂取した日本のありようをみるべきだろう。西洋は大洋を越えた遠隔、中国は「一衣帯水」の近隣にあるから、前者が疎遠でわからないのなら納得できようが実際は正反対、「同文」の隣国こそ不可解であった。そんな距離と理解の非対称に、20世紀日本の悲劇も起因する。
日本は地政学的な利害から、新たに受容した西洋的な「国交」の論理一辺倒で、朝鮮半島・中国大陸に侵入した。列島とはまったく異なる社会・体制を十分にわきまえないまま深入りしたのである。半島を植民地化したばかりか、隣接する東三省に「満洲国」をつくり、華北にまで踏みこんでしまった。
同じ時期、日中の産業革命がすすんでいる。民間経済では政治的な対立と背馳して、生産・消費とも相互に依存を深める趨勢だった。
関係を安定に導いた「不即不離」の距離感
日中の関係は史上このように、官民一致しない多元的な展開である。19世紀後半以降の国交をはじめ、公的な通交は軋轢が多かったのに対し、貿易もふくめ、民間の交流が深まったときも決して少なくない。そのため「不即不離」の距離感が、かえって関係を安定に導いた。
そうした歴史があるにもかかわらず、西洋流の「正常」な「国交」を一義的なスタンダードと見がちな現代日本人の中国観には、やはり不安が払拭できない。そもそも「国交正常化」という概念は、中国側に存在しなかった。この和製漢語それ自体、かつて相剋と破局をもたらした非対称の所産なのであり、「正常」の歴史と現実に思いを致す必要があろう。
「50周年」の節目、せっかくの機会である。「日中国交」の史的実像はもとより、われわれ日本人の視座・史観を見直してみてはいかがだろうか。
(岡本隆司/京都府立大学文学部教授)
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