駅周辺はいくつもの大規模な建設工事が進む。例えば北東へ約300mの「北8西1」街区は、48階建て・高さ175mのタワーマンションが威容を現しつつあった。駅から東側のエリアは開発可能な土地が多かったといい、オフィスビルやマンションの工事現場を目にすることができた。
駅から南に離れたエリアでもクレーンが林立していた。大通公園の東端、札幌タワーの北隣にあったNHK札幌放送会館は移転新築が済み、旧放送会館の解体が行われていた。跡地には札幌市役所の新庁舎が建つ予定という。
大通公園の南側でも数カ所でマンションや商業ビルの再開発が進む。予備知識なしにこれらの光景を見ると、延伸を目標に、街全体が動き始めたようにも見える。新幹線開業に前後して街並みが一変した、金沢や富山、函館を思い起こした。
目下の主役は五輪誘致?
ただ、現時点で、より強く目を引くのは、至るところに掲出されたポスターやパネルの「2030 冬季オリンピック・パラリンピック」の文字だ。新型コロナウイルス感染症などが社会・経済に濃い影を落とす中、起死回生への思いが漂う。今からちょうど50年前、1972年に開かれた札幌冬季五輪は、現在に至る札幌の機能やイメージの起点と意識され、当時を知る世代には存在感が大きい。
1964年の東京五輪と東海道新幹線開業をはじめ、新幹線の歴史は国際的なスポーツ大会と結びついてきた。
長野新幹線(現・北陸新幹線)は1998年の長野冬季五輪に合わせて1997年10月に開業した。東北新幹線・八戸開業は、青森県で開かれた2003年の冬季アジア大会に合わせる形で2002年12月に設定されている。ちなみに、北海道新幹線の基本計画が決定されたのは、くしくも札幌冬季五輪が開催された1972年だった。
社会・経済現象としてみた大規模スポーツ・イベントと新幹線は、類似性がある、もしくは「相性がよい」のかもしれない。ただ、大きな違いもある。五輪は基本的に期間限定のイベントであり、地元にとってオーバースペックの競技施設が廃虚化するといった課題も多い。他方、新幹線は、走り続ける鉄道を使ってよりよい暮らしや経済を目指すことが目的であり、開業はあくまでも、いわば「卒業のない入学式」である。
報道によれば、地元には冬季五輪誘致への異論も少なくないという。半世紀前とはあらゆる状況が異なる中、冬季五輪を通じて、どんな街づくりや地域づくりを目指すのか。ひょっとしたら誘致が決まってから、本格的な模索が始まるのかもしれない。これは、新幹線建設を求めた地域が着工決定後、しばしば歩んだ道でもある。
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