東ティモール、ホルタ大統領再登板後に待つ課題 独立回復20周年、混迷の歴史から見えてくる
現在のようなソーシャルメディアの発達もなく、現地での弾圧が正確に伝わることもなく、ほとんど孤立した状況下で民族解放闘争が展開されていた。今回のロシア軍のウクライナ侵攻はさまざまなメディアで伝えられ、ウクライナ市民に対する殺戮、拷問、性的暴力などの戦争犯罪が問われているが、当時の東ティモールにおいても同様な状況下にあったのだ。
今回の選挙に至るまでの東ティモールの政治的混迷
第1回目大統領選挙は例外としても、大統領選挙後には通常国民議会選挙が控えている。したがって、大統領選挙は国民議会選挙に向けた各政党の有権者向けのキャンペーンの意味もあり、党首級の幹部が大統領選挙に立候補し、有権者への投票行動を促していたのだ。しかし、今回の大統領選挙後には国民議会選挙は予定されていない。
前回の大統領選挙は2017年に実施され、今回現職で再選を目指したフレテリン(東ティモール独立革命戦線)推薦のル・オロが第1回目の投票で過半数の57.1%を獲得して当選した。ル・オロは2007年、2012年の大統領選挙にもフレテリン党首として立候補していたが、いずれも決選投票で敗れている。
それではなぜ2017年は第1回目の投票で過半数が得られたのか。今後の東ティモールの政治的安定を占ううえでも若干の説明が必要になろう。
15万人に及ぶ国内避難民がでた独立回復後の最大の危機となった2006年騒擾事件の責任で、フレテリン実力者であったマリ・アルカティリは首相を辞任した。当時大統領であったグスマンは指導力を発揮して治安の回復を図った。グスマンは2007年のホルタ大統領当選後の国民議会選挙で、フレテリンの議席数には及ばなかったものの、多数派工作で首班に指名され、2012年の国民議会選挙後も首相を続投した。
2012年大統領選挙でCNRTはタウル・マタン・ルアクを大統領候補として推し、ル・オロとの決選投票で再び勝利する。直後の国民議会選挙でもCNRTは第1党となり、民主党らとの連立でグスマンは第5次立憲政府を発足させた。その後、東ティモールの政治社会の安定を背景に、グスマンは2015年に首相を辞任し、「紛争から開発へ」のスローガンを掲げることで、経済発展を最重要課題と位置づけ、自らは計画・戦略投資大臣に就き、フレテリンのルイ・アラウジョに首相を譲り、第6次立憲政府が発足したのである。
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