テレ東「朗希の試合」急きょ中継できた納得の理由 箱根駅伝を初めて中継したテレ東のスポーツ史

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また、1970年代にブームを起こしたローラーゲームも、同様に東京12チャンネルが発掘したスポーツだった。

ローラーゲームは、アメリカ生まれのスポーツ。男女5人ずつの混成チームが対戦する。楕円形のリンクを対戦する2チームがローラースケートで周回し、先行する守備側の相手チームを攻撃側の選手が追い抜けば、その人数分が得点になる。

その攻防はボディコンタクトあり。守備側のタックルや肘打ちを攻撃側の選手がいかにかわし、すりぬけるかが見どころで、互いにエキサイトすると両チーム入り乱れての乱闘になることもあった。

ここでも白石剛達が後押しするかたちで、日本人チーム「東京ボンバーズ」が結成されると、日米対抗の図式で一気に盛り上がった。テレビ中継も人気を博し、ピーク時には日本武道館で試合が開催されたほどである。東京ボンバーズから、佐々木ヨーコというアイドル的スターも生まれた。

「スポーツのテレ東」を支えたニッチ狙いの精神

テレビ東京(東京12チャンネル)の開局は、1964年のこと。現在ある民放キー局のなかでは最後発で、しかも科学教育専門局としてのスタートだった。そうしたこともあって全国ネットワークの整備も遅れ、ローカル局の状態が1980年代まで続いた。

生放送の魅力が味わえるスポーツ中継は、テレビの本放送が始まった1950年代から人気で、それゆえ各テレビ局がしのぎを削ってきた。そのなかでテレビ東京は、いまふれたような事情で、自分たちのポジションを確保するのにとても苦労した。

だがだからこそ、海外サッカー、箱根駅伝、さらに女子プロレスやローラーゲームの例をみても、テレ東の最大の特徴であるニッチ狙いの精神が、スポーツの分野でも活路を開いてきたのがよくわかるだろう。

その歴史は、必ずしも順風満帆ではなく、試行錯誤の連続だった。しかし、今回の千葉ロッテ戦の生中継実現が、そうしたテレ東の苦闘の歴史があっての成果だと考えると、やはり感慨深い。

太田 省一 社会学者、文筆家

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おおた しょういち / Shoichi Ota

東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。現在は社会学およびメディア論の視点からテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、音楽番組、ドラマなどについて執筆活動を続ける。

著書に『刑事ドラマ名作講義』(星海社新書)、『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『水谷豊論』『平成テレビジョン・スタディーズ』(いずれも青土社)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)など。

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