「あきらめよう!」が自己肯定感をぐっと高める訳 「しょうがない自分」を認めることの効用
私たちは思春期以降、少なからず「完璧主義」や「理想主義」にとらわれて生きています。また無意識のうちに友人と「比較・競争」してしまうことは誰にでもあります。
思春期は「個別化」といって、他人と自分とを区別して認識しはじめる時期でもあるのですが、それゆえに周囲と自分を比べたり、完璧になろうとしたり、理想的な自分になろうとするようになります。
実はこの完璧主義・理想主義・比較・競争には、ある共通点があります。それは「今の自分では不完全である」という観念です。「不十分」と言い換えてもいいかもしれません。
だから、友人や家族をはじめとする周囲の人と自分を比べて優越感に浸ったり、劣等感に苛まれたりします。完璧な人間になって、みんなから認められたいという、強い承認欲求も生まれます。周りからの期待も含めて、「理想的な自分」を描き、そうなろうとして背伸びをするのです。
今の自分は不完全だから、もっとちゃんとしなきゃいけない。もっと完璧にならなきゃいけない。もっと可愛くならなきゃいけない。もっと勉強ができなきゃいけない。もっといい子にならなきゃいけない――。
無意識のうちにそう思い、そんな不完全な自分を受け入れられず、自らを嫌ってばかりいたのです。
「あきらめよう!」は、自分を許すポジティブな言葉
子どもの頃、「なんで自分の髪はストレートじゃないんだろう?」と悩みませんでしたか?
「なんで、あの子はあんなにも足が速いんだろう?」と、劣等感を覚えませんでしたか?
「なんで、あの子はたくさんの友達に囲まれているんだろう?」と、うらやましくなりませんでしたか?
こうして私たちは、クセ毛の自分を愛せなかったし、足が遅い自分を嫌っていましたし、友達が少ない自分はダメだと自己否定していたのです。
でも、完全な人なんていない、と思いませんか?実際、頑張って不完全な自分をちゃんとしようと努力して、たしかに成長した部分もあるけれど、相変わらず不完全な自分を感じていませんか?そして、そんな自分をまだどこかで否定していませんか?
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