世界初パンダ専用ミルク「日本」で開発の深い事情 かなり「ニッチ」でも製品化が実現した理由
当時、高津さんはバイオ医薬品の研究開発のため、東京大学医学部付属病院の研究室に出向していた。上野動物園のすぐ近くだ。ある日、高津さんは、隣の研究室で基礎医学を研究していた獣医師の田邉和子さんから、パンダ用ミルクの開発を相談された。和子さんの夫で、上野動物園の獣医師の田邉興記さんが必要としたのだ。
パンダ用ミルクは、なぜ必要だったのだろう。『ジャイアントパンダの飼育 上野動物園における20年の記録』(東京都恩賜上野動物園編、東京動物園協会刊、1995年)におさめられた田邉興記さんの寄稿によると、理由の1つは双子の誕生に備えるため。双子だと母乳だけでは足りない。
しかも当時は、双子のうちの1頭、母親に育児放棄されたほうを無事に育てることが難しかった。もし人工乳で育てられれば、絶滅の危機にあるパンダの数を増やせるかもしれない。このことは、1987年に東京で開催され、世界中からパンダの関係者が集まったパンダの国際シンポジウムでも話題になった。
もう1つの理由は、トントンの父親であるフェイフェイ(飛飛)の健康管理だ。フェイフェイは、牛乳でできたミルク粥を摂取していたが、お腹の調子がすぐれず、食欲も落ちていた。原因は、フェイフェイが年をとり、牛乳の乳糖を分解できないためと考えられた。乳糖を含まない栄養剤を与えると体調は改善したが、こればかり長期間与えるのは好ましくない。
利益を出すのが難しい
高津さんは、パンダ専用ミルクの開発を森永乳業に提案した。だが、許可はすんなり下りなかった。それもそのはず。中国で「国宝」とされるパンダに何かあれば大変だ。しかも需要とコストを踏まえると、利益を出すのは難しい。
需要の面では、厳しい条件が重なっていた。日本でパンダを飼育していたのは上野動物園だけのうえ、当時はパンダの繁殖が難しかった。しかも誕生時の体重は平均100~200gしかなく、飲むミルクの量はわずかだ。コストの面では、原材料費がのしかかる。「数え方にもよりますが、乳業会社が哺乳用ミルクを製造するには100種類以上の原材料を使っています」(高津さん)。
結局、試験的にということで会社の許可が下りた。こうして上野動物園に森永乳業グループが協力する形で、パンダ専用ミルクの開発が1987年にスタートした。
しかし、いきなり壁にぶち当たった。当時はパンダの母乳の組成がほとんどわかっていないうえ、分析に必要な量の母乳を集めることはとても難しかったのだ。高津さんと田邉興記さんは世界中のパンダの母乳のデータを調べ、なんとか数件のデータを見つけた。
その結果、人間の母乳や牛乳に比べ、パンダの母乳は乳糖が極端に少ないことがわかった。ただ、「データの基になった母乳の量が1mlほどと非常に少なく、採取した方法や時期もバラバラだったので、開発の基礎データとしては不十分だと考えました」と高津さんは振り返る。
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