多くの現代若者が苦しむ「望まぬ孤独」悲痛な実態 「消えたい」「死にたい」という声が途切れない
そもそも誰かに頼らないと生活はできません。そんな当たり前のことなのに、なぜそれを否定するのでしょうか。お腹が空いている人に、「飢餓を愛せ、飢餓が人を強くするから」と説得しているようなものです。
「孤独は自分で対処しろ」という社会が、(本来は個人の責任とは言い切れないものを)自己責任論に落とし込んでいるわけです。自己責任とは、もともと大人の世界で使われていたもので、自分の選んだことを自分の責任として担い、自尊心を高めるものだったはずです。
「誰かに頼ることは恥」という考えにとらわれている
――コロナ禍で大勢の若者が苦しんでいます。それに対する自己責任論の高まりは、社会がどのように変化した結果なのでしょうか。
コロナ禍というより、社会が豊かになっていく過程で、人々は「個々の能力を高めればもっとよりよい社会が訪れる」と考え始めました。必然的に競争社会が訪れ、当人には変えることのできない生育環境や家庭環境にまで、自己責任論の対象は広がりました。自分を苦しめるだけの、懲罰的な自己責任論にすぎませんが、それが10~20代の若者にも広がりました。
「死にたい」「消えたい」とわれわれに相談してくる人の話を聴き続けてみると、「自分1人で乗り越えなくてはいけないと思ったから」「家族や友人に心配をかけられないから」という背景が浮かんできます。誰かに頼ってはいけない、相談してもいけない、それは恥だという考えにとらわれている。まさに「孤独」です。
そうした状況を考えると、若者の気持ちをまずは素直に受け止められる傾聴姿勢が求められていると言えるでしょう。その人の気持ちに寄り添うことから始まり、共感する。そして、存在を肯定した後で、アドバイスなどするべきです。親子との会話も同じ。まずは子どもの話に口を挟んではならないのです。
新型コロナの感染拡大により、自粛を余儀なくされ、自分の思ったように行動ができない。誰もがストレスを抱えているため、社会全体の余裕がなくなっているのも現実ですが、「声を上げられない」若者たちのことに社会がもっと関心を向けてほしい。
政策面では、孤独・孤立対策の官僚や大臣などのポストが設置されましたので、あとは十分な予算が早急に組み込まれ、法律が施行され、行政による支援が全体に行き渡ることを望んでいます。
取材:板垣聡旨=フロントラインプレス(Frontline Press)所属
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