グレタへの強烈な賛否が映す世代闘争に潜む罠 社会の優先順位が崩れ分断招くおそれもある
「気候のための学校ストライキ」と国連での怒りのスピーチで一躍「時の人」になったスウェーデン人の環境保護活動家のグレタ・トゥーンベリさん(16歳)。先日、スペインの首都マドリードで開幕する国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)に出席するため、アメリカからヨットで出発したことが報じられている。
今やグレタさんは、地球温暖化の危機の重大性を象徴する「環境保護活動のアイコン」となっており、欧米を中心に感化され同調する人々がデモを組織するなど予想以上に大きな影響を与えている。例えば、9月20日の世界一斉デモでは、日本を含む160カ国以上、約400万人が参加したといわれている。
地球温暖化をめぐってはさまざまな調査や研究が行われているが、未来予測をはじめとして結論にはバラツキがあることが知られている。専門家の間でさえ一致していない部分も多い。
グレタさんの抗議活動にみられる別の側面
しかし、現在の世界的なムーブメントを後押ししているのは、「近い将来に人類が破滅的な事態に直面する」という、切羽詰まった「終末論的な」認識である。一説では、2040年前後に“世界が終わる”という。これはかつて冷戦時代に最盛期を迎えた核戦争の恐怖を背景にした「反核運動」を髣髴(ほうふつ)とさせる。
ここで非常にわかりやすい補助線となるのが、若者が先頭に立つムーブメントであるということと、自分たちより年上の世代が支配する「既存の社会システム」の正当性を問う姿勢である。つまり、今回のグレタさんの「気候のための学校ストライキ」に端を発する一連の世界規模の抗議活動は、いわば若者の反乱、昔の表現に倣えば「カウンターカルチャー」(対抗文化)の側面が少なからずあるということだ。
メディアの脚光を浴びた当初からグレタさんとその周辺に対するバッシングや誹謗中傷が拡大し続けている。ただ、少し立ち止まって地球温暖化について云々することとはまったく別の次元の問題として、このような社会運動を支えている若者文化的な要素を考慮に入れておくことが必要だろう。
そもそも環境保護の問題は、カウンターカルチャーが底上げした経緯がある。
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