グレタへの強烈な賛否が映す世代闘争に潜む罠 社会の優先順位が崩れ分断招くおそれもある

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世界的なデモを「低成長や格差拡大の時代」のツケを背負わされた若者たちや子どもたち、「儲け優先の経済システム」によって「汚しに汚された地球環境」を押し付けられる不条理――といった世代的な現実という冷めた視点で眺めてみれば、「地球温暖化」は、おのずと「(下の世代にツケを回した)上の世代を排撃するのに適したツール」であるとの考え方もできるだろう。

彼らはまさに以前の世代のように、家や車などの「物質を消費しない」傾向を「異端視」されてきたからだ。今回のような価値の転換が本格化すれば、「物質を消費する」傾向がむしろ「異端視」される逆転現象が起きる。

ここで懸念されるのが社会問題の「優先順位の崩壊」と、社会運動の「世代間闘争化」だ。

「地球温暖化」は数多くある社会問題の1つにすぎない

当たり前だが、社会問題は「地球温暖化」だけではない。貧困や飢餓、難民、地域紛争、伝染病など多岐にわたる。資金やリソースが限られる中で、全体のバランスとの調整を図ることが必須となる。もし何が何でも「地球温暖化」対策が最優先となれば、そのために第三世界の人々が多大な犠牲を払うかもしれない。

デンマークの政治学者、ビョルン・ロンボルグが「地球温暖化問題の位置付け」について述べているように、「それは確かに問題ではあるけれど、でも今世紀中に対処すべき数多くの問題のたった一つでしかない」からだ(『地球と一緒に頭も冷やせ 温暖化問題を問い直す』山形浩生訳、ソフトバンククリエイティブ)。

また、“世界の終わり”を掲げた社会運動が急進化することで、他者への憎悪が促進される可能性がある。エコバッグや水筒を持ち歩き、飛行機には乗らずに電車に乗り、肉食はできるだけ控えることが重要な指標となり、それ以外のライフスタイルを否定することによる「分断」が引き起こされるおそれだ。

「分断」そのものが焦点化されることで冷静な議論が行われなくなるだけでなく、取り巻きにいる人々も「ライフスタイル闘争」「世代間闘争」に目を奪われがちになる。「エネルギー政策の妥当性」などの地味なイシュー(争点)よりも、「地球環境の危機」の切迫性が真実か、そうでないかで対立が過熱していく。

その隙に、国や企業は、わたしたちの置かれた境遇などお構いなしに「新たな権力」「新たなビジネス」の機会を狙っているかもしれない。しかもそれは「新たな負担」「新たなコスト」を強いるような悪夢を招来する可能性すらある。

日本では最近、政府内で「炭素税」の導入が検討されているが、仮に導入されれば灯油やガソリンの値段だけではなく、電気料金も値上げされることとなる。日用品などの物価全般も軒並み吊り上がるだろう。最悪の場合、国や企業の努力はそこそこに、後は「国民一人ひとりの身を切る改革で」などという事態にもなりかねない。

「地球温暖化」が注目されることはよい兆候であり歓迎すべきことではあるが、「熱狂化」や「闘争化」による影響で「より状況が悪化する」ことは避けたい。これはあまりに悲観的すぎるものの見方だろうか。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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