――元イラク兵の方と出会って、どんな対話をされましたか。
「私もその当時の戦争で生き延びたんです」と伝えたら、お父さんが「本当に申し訳なかった」と涙を流されました。
「なんで謝るんですか? 私はあなたを責めにきたわけではないし、私はお互いの国の人たちが苦しんでいることを知っています。だから、ご自分を責めないで」って。
お父さんは「僕は大事な家族の命を守りたかった。だから戦争に行くしかなかったんだ」と、声を絞り出しました。
国のために命を賭して戦ったにもかかわらず、食べ物もなく、医療の援助も受けられない、非常に貧しい状況です。身体もボロボロになっていたお父さんの姿を見たときに、国民は犠牲者でしかないのだと感じました。
この旅で得たことは、当事者と会って、その方たちの生の声を聞くことがとても重要だということ。彼らの生きてきた足跡や心の内を聞けたことが、私の大切な宝です。
――「イラクに行きなさい」と背中を押してくれた、お母さんの言葉があったからこその出会いかもしれませんね。
本当そうです。母の言葉がなければ、出会えないものがたくさんあります。
そんな母自身も苦しい人生を送ってきました。実親のもとで暮らせず、幼少期から曾祖母(フローラとっては祖母)に育てられているんです。
曾祖母は、母が15歳のときに亡くなってしまったのですが、生前ボランティアで子どもたちをケアする活動をしていたことから、母に「将来は必ず養子を引き取りなさい」と言っていたそうなんです。
これもすべて運命なんだなと
大学生になり、ボランティア活動に励んでいた母は、施設で暮らす私と出会いました。彼女と初めて会ったとき、私が思わず「お母さん」とつぶやいた。その言葉を聞いた瞬間、おばあちゃんとの約束が思い出され、「この子がその子なんだ」と私の手を握ってくれたんです。その後、両親の反対を押し切って、私を引き取り、必死の思いで育ててくれました。
これもすべて運命なんだなと、今は思います。戦争は絶対にあってはなりません。でも、あの戦争によって孤児になったからこそ、母と出会っているのは事実です。
このことをどう受け止めたらいいのかわからなくて、すごく複雑な感情を抱えていますが、そこに自分が生かされている意味があるのかなとも思えるのです。
私がこうして生き延びているのは何か意味と役割がある。そのために神様は私にいろんな経験させてくれたのかなって、今は受け止められるようになりました。
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