たとえ街が修復しても、心は修復できない
――戦争によって国全体が困窮した時代に生まれ、7歳まで孤児院で過ごしていたというサヘルさん。ロシアからの軍事侵攻によって、多くのウクライナ人女性や子どもたちが祖国を離れ、避難生活を余儀なくされています。そうした状況に、どんなことを思いますか。
この戦争によって、これまで平穏だった日常が壊され、家族が引き裂かれています。特に子どもたちが受けた心の傷は、大人以上に大きく、たとえ戦争が終わっても「よかったね」とは、とても言えない状況だと思います。
これから先、街が修復したとしても、壊されてしまった心はなかなか修復することができません。自分が生き延びてしまったことへの「生きててよかったのかな?」という自問自答は、その後もずっと付いて回ると思います。それこそが、戦争の怖さなのです。
私は4歳の物心つく頃から、養母・フローラに引き取られる7歳まで孤児院で暮らしていました。
当時、最もつらかったのは、私の姿が「誰の瞳にも映らない」ということでした。施設では職員さんたちが入れ替わるため、同じ人とずっと一緒にいることができません。
毎日、同じ大人の顔を見ることができない。相手の瞳に自分の姿が映らないことの寂しさや不安感は、その後も消えることはなく、今でもふっとよみがえることがあります。
そして、もう一つの苦しみは、「なんで私は生まれてきたんだろう?」という思いです。生まれる国も時代も親も選べない。人間って生まれ育った場所で、こんなにも人生が変わっちゃうんだという、やり場のない感情を抱えていました。
7歳のときにフローラと出会い、養子として引き取ってもらえたことは本当に運が良かったし、たくさんの幸せをもらいました。でも、どんなに愛情をもらっても心の傷はなかなか癒えないものです。戦争が人々に与えるダメージや後遺症は、計り知れません。
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