「少年院」で数学を教えた先生が見た学校との違い 「背中を見せてはいけない」「ホチキス留めNG」…
自分の経験ですが、教師は基本的に、できる子どもしか当てません。そうでないと授業が進まないからです。だから、小・中学生のとき、健康問題で半分以上学校を休んでいた私は、当然、授業中に当てられることはありませんでした。ある意味お客さん状態。授業中、いつも自分の存在が空気のようで、教師から自分は見えていないように感じたものです。
「考える」には訓練が必要
私が行う少年院での授業は、少年の質問が授業内容から外れていても必ず聞く。また、少年の答えが出るまで待つ。言葉に詰まったときも待つ。黒板で問題を解いてもらうときも、彼が納得するまで待つ。そして、なぜ悩んだのかを聞き、彼らの想いに耳を傾ける。
これは少年院という場だからできることかもしれません。授業時、少年たちからよく言われる言葉が「先生のように、学校では自分の言うことを聞いてもらえることはなかった。学校の授業で質問しても、先生から無視され話も聞いてもらえなかった。だからうれしい」と。
この繰り返しの中で、徐々に少年たちから信頼され、距離感がなくなってくる。
さらに、私と瀬山先生は指導する上でいくつか共通の理念があり、そのひとつに「とことん考えさせる」ということがあります。だから、質問してすぐに答えられないからと「ハイ、後ろの人」とは絶対にしない。本人に考えさせて、考えさせて、それでも「分かりません」と言われたら、つぎの人に聞く。
実はこれには伏線があり、18、19歳の少年を指導し始めの頃、瀬山先生は少年たちの指導時、机の間を歩きながらよく質問をします。するとほとんどの少年は間髪を入れず「分かりません!」と答える。これが当初続いたことから、いつも穏やかな瀬山先生が唯一少年たちを叱ったのです。
「今の大学生もそうだが、皆は考えもせず、すぐに分かりませんと答える。考えていれば分かると思う質問しかしてないんだから、考えるんだよ」と。この風景は年3回行う講座の最初の頃の風物詩でもあります。だから、少年たちは徐々に考えるようになってくる。とは言っても、やはり彼らには、先生の質問は少し難しく感じるのも否めませんが……。
「考える」とは訓練が必要だと、私はことあるごとに話をしています。ゆえに、前に出て黒板で問題を解いてもらうときにでも、本人が考え、納得するまで待ちます。少年はここまで自分を受け入れてもらえた経験がないから、彼らは最後まで解けなくても、納得した時点で席に戻るのです。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら