常見:階層により異なりますが、たしかに、自由競争の厳しい時代にはなっています。ところで、『負け犬の遠吠え』が出たのは2003年で、新語・流行語大賞にノミネートされたのが2004年ですね。個人的には、酒井さんがご著書で書かれていた「負け犬」という言葉の意味が変質していった過程が気になっています。
もともとの趣旨は、酒井さんの定義によれば「未婚、子ナシ、30代以上の女性」のことでした。本の中では、寿退社して専業主婦になり、子どもを生んでいる女性たちは「勝ち犬」であるとされました。これは、別に「未婚、子ナシ、30代以上の女性」を「揶揄」する言葉のようで、実は微妙にニュアンスが違いました。
「負け犬」とは、そもそもは酒井さんの周囲にいる、バリバリと仕事をして結婚せず30代を迎えてしまった高学歴のキャリアウーマンたちが、「なぜ結婚しないのか」「子どもを生まないのか」という世間からの批判を上手くかわすために自虐する戦略だったとも思うのです。ただ、途中から、自称、自虐ではなく、揶揄する言葉に変わっていったと思います。
酒井:あの本は、色んな読み方をして頂いたと思っています。「負け犬は充実しているという自慢である」という人もいました。ただ、自称する分には自虐として笑えたわけで、他称されるとキツく響く言葉ではありました。
常見:女性本は、売れると誤解される傾向がありますね。「婚活」がブームになったのは、2008年ごろで、本来の意味は「黙っていても結婚できない」という警鐘だったのに、メディアの取り上げ方も手伝って、「がっついていい男探せ」という誤解が広がりました。やや話が長くなりましたが、売れて誤解される件についてはどう思います?
酒井:売れると思って書いていないので(苦笑)。売れると思って書いたことは一度もありません。
常見:そ、そうなんですね。でも、頑張っていても、無理じゃないかという絶望感はあると思います。
酒井:私より下の世代は、意思を持たないと就職も結婚もできないと分かっていたはずです。だからこそ、なぜそうなる?学ばないのか?というふうに感じます。
「つながり」をどうするか
西森:昔の若者は、恋人を作ることにエネルギーを注いでいましたが、今の若者は友達を作ることを重要視していてコミュニケーションを求めている人が多いように思います。
酒井:でも、若い子はネットでのコミュニケーション慣れしていませんか?リアルでも、友達はすぐつくれるのではないでしょうか?
我々のような昭和人は、ある程度の共通体験を持つことが友達作りの基本でしたが。ただ一方で、若者はシェアハウスやヒッチハイクという無謀なコミュニケーションでも辞さないという柔軟性があるように見えます。
常見:ただ、ソーシャルメディアなどでつながってしまう時代に、今後話題となるのは「絶縁力」だと思います。私の友人の中川淳一郎君も『縁の切り方』(小学館)という本を出しました。
酒井:縁を切ることに対する躊躇のないのが、今の「つながり」のスタイルですよね。昔の縁は地縁・血縁と濃いものでしたから。
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