そして日本からオトナがいなくなった 平川克美×小田嶋隆「復路の哲学」対談(1)
小田嶋:でも、 1日目と2日目で何が具体的にどう変わってるのかはわからないけれど、2日目のほうが明らかにいい。そういう変化って、人間でもあると思うんですよ。
平川:それはつまり、「エイジング」ということだよね。
小田嶋:そうなんです、エイジングです。一晩寝かせて美味しいカレーが完成するのと同じで、エイジングがなければ、人はいくら学んだり、スキルを上げたりしても、大人になれない、ということだと思うんです。だから、アンチエイジングなんておかしな話だと思うんですよ。
平川さんは今回の本の中で「復路の人生というものは、往路とはまったくその景観を異にしている」と書かれていますよね。「人生の往路」を歩んでいるときにはなかなか理解できないけれど、「人生の復路」に差し掛かると自ずとわかってくることもあるということだと思います。
「語り得ないもの」を抱えている大人
平川:本の中でも触れましたが、向田邦子さんが、自分のお父さんについてこんなことを書いているんです。子供の頃、家を訪ねて来た上司に対して、父親が床に額をこすりつけてお礼を言うのを見た。そのときはなぜ父親がそこまでするのかわからなかったんだけれど、ある年齢を過ぎたとき、「なぜ夕飯のとき、父親だけが一品料理が多いのかということがわかった」というんですね。
大人とは何かというのはそういうふうに、ある年齢とか経験を経て、ふとした拍子に「ああ、これが大人になるということなんだな」と気づくものだと思うんです。たとえば、小津安二郎の映画を高校生が観ても理解できないですよね。
小田嶋:小津の映画に出てくるお父さんって、自分のやってることをほとんどまともに説明しないまま死んでいきますからね。小津の映画と対照的なのが「渡る世間は鬼ばかり」なんです。あれは全部、心の中のことまで全部しゃべっちゃいますから。小津は逆に、いちばん大切なことであればあるほど、決して口には出さない。テロップで説明したりはしないんです。
平川:説明責任を果たしてないんだよね(笑)。でも、残された子供たちは、どこかで理解する。向田邦子の小説『あ・うん』の中に、「おとなは、大事なことはひとこともしゃべらないのだ」という述懐があるんですが、大人というのは、そういうふうに「語り得ないもの」を抱えているものなんです。