そして日本からオトナがいなくなった 平川克美×小田嶋隆「復路の哲学」対談(1)
小田嶋:今のお話は、「鶏が先か卵が先か」という側面がありますよね。政治家が子供っぽくなったということもあるだろうけど、私たち視聴者や新聞読者に当たる国民の側が、政治家を見上げなくなった、ということもある。おそらく両者はループしているのでしょう。尊敬できない人間だから尊敬しない、ということもあるし、尊敬されていないから、彼らも尊敬されるような振る舞いをしなくなったということもある。
平川:一つ確かなことは、「大人とはこういうものだ」という規範が失われた、ということだと思うんです。先日、高倉健さんが亡くなりましたが、彼がスクリーンの中で体現していた「黙って耐える」「嘘はつかない」というような大人像というのは、間違いなくある時期までは「あらまほしき大人像」として機能していました。それがどこかで失われてしまった。
小田嶋:今、規範という表現をされましたが、平川さんがこの本で問題にされているのは、単純に社会から大人がいなくなったというよりも、社会全体から「大人なるもの」というイメージや「社会が安定的に営まれるためには大人が必要だ」という意識が失われつつある、ということですよね。
歳を取ることがマイナスの意味しか持たなくなった
平川:今の価値観だと、人間というのは歳を取れば取るほど醜くなって、価値が失われるということになっていますよね。そのことは特に女性に顕著で、20代の沢尻エリカさんなんかが「最近老けたね」「もうババアだね」なんて言われちゃったりする。歳を取ることがマイナスの意味しか持たなくなっている。
小田嶋:「アンチエイジング」なんていう言葉があるくらいですからね。ハリウッド映画だと、出てくる女性の年齢はとにかく20代ばっかりなんですが、フランス映画を観ると「なんでこんなおばさんがいい女の役やってるの」って驚くことがあります。「若ければ若いほどいい」というハリウッド映画の価値観を、戦後の日本が取り込んで来た影響は大きいですよね。
平川:最近の日本映画も、若者しか登場しなくなりましたよね。日本の映画で「大人」を演じることができる俳優は、もしかすると高倉健が最後になってしまうかもしれない。
ところで、そもそもいま我々が話しているような「大人がいなくなった」という問題に対して、「なぜ大人がいないといけないんだ。そんなのいなくていいじゃないか」と考える人もいると思うんです。でも、僕はまさにそのことを問題にしているんですね。社会の中で「大人にならなければいけない」「社会には大人が必要だ」という意識が希薄になってきていることが、非常に厄介な問題を生みつつあると思うんです。