「独服」によって自分と向き合う時間を作る--『茶』を書いた千宗屋氏(武者小路千家家元後嗣)に聞く

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 お茶は亭主がお客をもてなすという意味で、社交の一環だが、その前提として亭主自身がもてなす自分は何者なのか、きちっと相手に伝えなければいけない。自己を表出させながら、もてなしという方法論に乗せて、それをスマートにやってのける。

その際、表出できる自己を持たなければならない。内面鍛錬が欠かせない。お茶を通して自分を見つめ直し、また自己を鍛錬する。そして自分自身の心と向き合う。社交と自己修養、大きくいってその二つの役割がお茶にはある。

──実現するには「狭い茶室」が欠かせませんか。

茶の湯の目的は、お茶を通して他人と一つになること。だから物理的な距離はあまりないほうがいい。近いほうがより親密度を増すことができる。膝を突き合わせて一つの釜を囲む。そして亭主が行う一挙手一投足に視線を集中させる。心を一つに溶け込ませるために、物理的な距離をなるべく近づけるほうが、神経は集中する。

同時に、狭い空間では肉体的な自由が奪われる。物理的に体の動きが制約されるからこそ、ある程度同じ動き、振る舞いを要求される。その一方で、心は自由なままであり、集中することで精神的につながれて、座が一つになりやすい。体が自由に動けるのでは、一体感を得るのに邪魔になる。

逆説的だが、たとえば大自然の雄大な景色を読み込んだ歌がお軸に書かれているとする。茶室の空間は狭くても、自由な精神で心を広い世界に遊ばすことはできる。狭い空間にお軸が掛かっていることによって、かえって感情移入がしやすい。また暑い季節ならば、心で涼しさを感じてもらえる効果的な趣向を施すこともできる。

──現代では茶室も数が限られ、行くのは難しくありませんか。

できるだけ、茶室を体験してほしい。茶室を「囲い」ともいうが、そこで非日常の時間を作り出すことで、自分と向き合い、確認し、精神をニュートラル・ポジションに戻す。これが生活の中にお茶があることの、いちばん大きなメリットになるからだ。

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