ピケティ「21世紀の資本論」に対する疑問

資本の定義に矛盾あり

リーマンショック後、日本とドイツは配当を切って雇用、賃金を確保。労働分配率が急激に上がった。米国は、リーマンショック後に(すぐにはクビを切れないので)いったん労働分配率が少し上がった後、配当のため従業員のクビを切り始めてすぐ下がり始めた。英国は金融立国であることもあって、動きが少し違うが、前年度の研究会での神林さんの報告では、失業率の動きを見てみると英国も米国と同様の動きをしていることが示唆されていた。

「英米流」と「日独流」がある

コーポレートガバナンスには英米流と日独流とがあって、その違いがピケティなどがデータで示した不平等と密接に関係があるはずだ。これはピケティを補完する議論になる。

英米の株主主権論、エージェンシー理論をベースにしたコーポレートガバナンス論は、会社と企業とを混同している。しかしコーポレートガバナンスは会社統治であって企業統治ではないはず。この混同がスーパーマネージャーを生み、エンロン事件、リーマンショックの一因にもなったというのが私の理論だ。

単なる法人化されていない企業であれば、オーナーと経営者との関係は委任契約関係。経済学でいうエージェンシー契約。契約には契約自由の原則が働き、お互いの利益のために契約を結ぶ。結果に関しては自己責任。このような契約であれば、そこに業績に連動させて経営者の報酬を上げる条項を入れても何の問題もない。

これに対して、会社の経営者はまったく異なる存在だと私は考えている。人形浄瑠璃の人形遣いのような役割をはたしているのが、会社の経営者である。会社は法人で法律的にはヒトだが現実はモノ。そのため、会社が経済活動を行うためには会社に代わって行動する「生身のヒト」が必要。それが会社の経営者。経営者は浄瑠璃使いとして、ヒトの形はしているがモノである会社(浄瑠璃の人形に相当)を運営する。

株主と経営者との間には委任契約などどこにも存在しない。会社の経営者は株主の代理人ではない。経済学の教科書にはそう書いてあるが、それは理論的な間違い。エージェンシー理論が席巻する前の英米のどの会社法の教科書でも、経営者は会社の信任(fiduciary)の受託者と書かれていたが、それが正しい。

信任関係とは、その関係を契約で維持しようとすると必然的に一方の当事者の自己契約になってしまう関係。後見人と未成年や認知症老人などの被後見人、信託財産の受託者と受益者、医者と患者、弁護士と依頼人、資金運用者と投資家、教師と学生、技術者と市民などの関係である。信任関係を維持するためには、一方の当事者に、自己利益追求を抑え、他方の当事者の利益にのみ忠実に仕事をすべしと言う「忠実義務」が課されることになる。忠実義務とは、他者の目的を自分の目的として行動せよという「倫理」性の要求だ。

会社と経営者が契約を結ぶとすると、それは経営者が自分で自分の契約書を書くことになり、これも必然的に自己契約になる。したがって、どの国の会社法でも、経営者には会社に対する忠実義務が課される。経営者は努力や能力に応じた一定の報酬はもらうとしても、その報酬は抑えて会社の利益に忠実に経営する義務を経営者は負う。これは経営者に自己利益ではない倫理を課すということである。

次ページ英米は「忠実義務」を軽視する傾向
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