ピケティ「21世紀の資本論」に対する疑問 資本の定義に矛盾あり

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ただ、倫理は希少資源。よって倫理を経営者に求めるには法制化が必要になる。だからすべての国の会社法では忠実義務(倫理)が経営者に課されていて、それを破ると特別背任罪になる。

一般的に、信任法というのも英米では重要な法律分野。信任法は忠実義務を法律で課す、つまり倫理を義務化する。ただ司法コストも高いので、それを補完する一つが従来のコーポレートガバナンス論。コーポレートガバナンスの中核は忠実義務(倫理)を遵守させることであり、それを法律で支えている。

信任法の中核は倫理で、本来それは経営者の自主的な倫理に任せられるが、全員がそうなるとは限らないので法律で外枠を囲ってはみ出た経営者は罰するという構造にある。

但し、近年米国では忠実義務を任意法規にする動きが強くなっている。信任関係を契約関係に置きかえる動きである。とくに会社統治においてその動きが強い。

英米における主流の経済学や会社統治論は、株主主権論を旗印にし、エージェンシー理論(契約理論)をベースにして、経営者が自己利益の誘因に導かれて株価最大化を図るように持っていこうとする。しかし経営者と会社との関係に自己契約的な要素がある以上、しかも経営者は会社の重要な意志決定にかんして必然的に内部情報をもっているため、それを悪用して自分の利益を図ろうとする経営者は必ず出てくる。

米国では報酬もお手盛りで決まる

たとえば粉飾決算をしたり、利益相反行為に走ったり。これがエンロン事件。経営者の報酬もまさに「お手盛り」で決まる。(お手盛りとは、自己契約の日本的言い回し。)どこかの経営者の報酬がいったん上がると、あとは横並び競争でどんどん報酬が上がる。

本来経営者に課されるべき忠実義務を軽視し、株主主権の名の下に、自己利益の誘因で経営者をコントロールしようとしたことが、英米において、経営者による株主を含む他のステークホルダーの搾取を許すことになった。その結果、資本所得は大して上がっていないのに、経営者の報酬だけ圧倒的に上がってしまった。これが、ピケティが示した英米における所得の不平等化の大きな要因であるというのが、私の考え方だ。

処方箋として、エージェンシー理論に基づくコーポレートガバナンス論を追放するべきだ。株主主権論を相対化し、忠実義務(倫理)を中核としたコーポレートガバナンス論をビジネススクールなどで教えるべきと提案したい。

米国は、経済だけでなく政治もロビー活動や巨額寄付によってコントロールされる寡占政治体制に近づいておりており、後戻りできない地点に来てしまっている気がする。英国は、まだ政治が民主主義的なので、微妙なポジションだ。

日本やヨーロッパはコーポレートガバナンス論がまだ株主主権論、特にエージェンシー理論に侵されていない。この観点からも、日本やヨーロッパではまだ「不平等の英米化」は避けられる可能性がある。

岩井 克人 東京財団名誉研究員

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いわいかつひこ / Katsuhiko Iwai

国際基督教大学客員教授、武蔵野大学客員教授、東京大学名誉教授。東京大学卒業、マサチューセッツ工科大学経済学博士(Ph.D.)。イェール大学経済学部助教授、プリンストン大学客員準教授、ペンシルバニア大学客員教授、東京大学教授などを歴任。2007年紫綬褒章。2009年4月ベオグラード大学名誉博士号。

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