東京五輪から“逆算”すると時間はない
服部勇馬は大学入学時から酒井俊幸監督に「次期エース候補」として育てられてきた特別な選手だ。1年時の全日本大学駅伝では最長区間のアンカーに抜擢された。トップでタスキを受けた服部は、駒澤大学のエース・窪田忍に1分07秒差を大逆転されたが、そのとき流した涙を「強さ」に変えていった。
前々回の箱根は翌年の2区起用を視野に入れて、裏区間の9区に出場(区間3位)。そして、前回の箱根は「花の2区」を任されて区間3位と好走している。
ブエノスアイレスから朗報が届いたのは昨年の9月だ。56年ぶりとなる「東京五輪」の決定に日本列島が沸いた。そして、多くのアスリートが7年後の“夢”を語った。中でも20歳前後の学生ランナーにとって、7年後の未来は輝いて見えたはずだ。「東京五輪はマラソンで勝負したい」と思った箱根ランナーは少なくないだろう。服部勇馬もその中のひとりだった。
ただ服部がほかの選手と違ったのが、夢へのストーリーを具体的に描いていたことだ。前回の箱根後には熊日30キロロードレース(2月)に出場。1時間28分52秒の学生記録(&日本歴代3位)を樹立した。その後、2020年東京五輪を視野に入れ、箱根後の東京で初マラソンに挑戦する覚悟を決めている。
「マラソンをやろうと思ったのは、2020年東京五輪開催が決定したことが大きいですね。五輪代表の選考会に関してはあと5年しかないので、今年から取り組んでいかないと間に合いません。東京五輪のマラソンでメダルを獲得するのが最大の目標なので、そこから逆算しての取り組みになります」(服部)。
服部のビジョンはこうだ。今年の冬に初マラソンを経験して、来年はリオ五輪の選考レースに出場する。ただ参戦するのではなく、代表争いに絡めるレベルに仕上げておく。失敗しても、「五輪選考レース」という独特の雰囲気を経験しておくことが4年後につながるという考えだ。そして、2019年冬の選考レースで悠々と日本代表を勝ち取って、東京五輪で「メダル」に挑戦する。そのため、今季のマラソン挑戦が大きな意味を持つ。
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