(第42回)企業改革の役割を外国人に期待する

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専門家をコントロールするのが経営者

日本でこうしたことを実現できる経営者がいないのには理由がある。日本の(特に巨大企業の)経営者のほとんどは、その組織内で内部昇進してきた人だ。彼らはいわば「その組織の専門家」である。組織文化に精通し、人事の詳細を把握しており、何が可能で何が不可能かをわきまえている。したがって、事業環境が不変な時代に確立された事業を効率的に遂行するのには優れているが、環境が大変化したとき、それまでのビジネスモデルを大転換するのには向いていない。

なぜなら、そのためには系列会社とのしがらみを断ち切り、社内の専門家集団の抵抗を押し切る必要があるからだ。

それは日産自動車においてカルロス・ゴーンが果たした役割だ。ゴーンにそれができたのは、彼が「外から来た経営の専門家」であったからだ(ガートナーもそうである)。

専門家は、決して自分のレゾンデトルを否定しないものである(それだからこそ、前回述べたように、大学の学部構成を変えられないのだ)。過去に企業の成功をもたらした集団であれば、権力はきわめて強い。だから企業のビジネスモデルを転換できない。

しかし、事業環境が変化すれば、そうした専門家集団の存続要求を退け、経営的観点から事業を組み替えることが必要になる。それこそが経営者の役割だ。

必要とされるのは、過去のしがらみを蛮勇をもって断ち切ることだけではない。客観的なデータと的確な指針に基づいて、新しいビジネスモデルを構築することが重要である。そのためには蛮勇だけでなく、専門的な知識が求められる。いわば「専門的なジェネラリスト」でなければならないのである。

日本の大組織では、昔から第一線の実務家や技術者が強く、組織全体の立場から彼らをコントロールすることができなかった。関東軍の暴走を止められなかった陸軍は、その典型である。日本には文民統制はなかったのだ。それが、今に至るまで大企業の中で続いている。

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