37歳大阪で農業を営む男が「天職」に辿り着けた訳 フリーライターとの兼業で、したたかにたくましく

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伊藤さんは就職活動で出版社2社の採用試験を受けた。1社は最終面接までいったのだが、残念ながら落ちてしまった。

「それで心が折れて就職留年しました。

それ以降は中年男性が一人で経営しているような出版社にメールして『どこか働ける出版社はないですか?』と尋ねたりしたのですが、なかなか決まりませんでした」

1年留年した後に、主に農業についての雑誌や、書籍、絵本などを発行する出版社に就職が決まった。

「この会社は変わっていて、就職1年目は基本的に全員が営業活動をするんです。集団でバイクで移動して全国の宿を転々としながら、農村の人たちに飛び込みの営業をかけます」

人によっては、1人で見知らぬ人に声をかけていく仕事は厳しいと感じるだろう。

たが、伊藤さんは仕事を楽しむことができたという。

「主に農作業されてる方に話しかけるんですね。

『このナス、形がいいですね~』

とか言って。それで

『スギナをちぎって何日かひたした水をナスにかけるとツヤツヤになるんですよ。病気にも強くなります』

なんて豆知識を紹介して、しばらく話して仲良くなります。それでもしよかったら1年間購読していただけませんか?とお願いします。その雑誌は農家の間ではよく知られているので、もし気に入ってもらえれば購読してもらえる可能性は高いです。

大学時代に大阪の西成(あいりん地区)のお祭りに行って、面白いおっちゃんたちと話すのが好きだったんです。農家をやってるおっちゃんたちも、自営業で生きてる人たちだから、癖があって面白い人が多いんですよね。だから、営業の仕事自体は楽しんでやっていました。

それにとにかく宿から宿に飛び回る生活ですから、家賃がかからないし、お金を使うヒマもないから、お金がすごくたまりました」

雑誌の編集部に編入

その出版社では1年が経った後も営業を続ける人もいるし、そのほかの部署に回される人もいた。

伊藤さんは、会社に送る報告書を丁寧に書いていたことが見込まれて、雑誌の編集部に編入されることになった。

雑誌の編集部は東京にあるため、伊藤さんも東京に引っ越してくることになった。杉並区高円寺にアパートを借りて住んで、そこから会社に通った。

「24歳で編集の業務に就きました。仕事はかなり忙しかったですね。正直編集部に行ったときは農業にそこまで興味があるわけではなかったんですが、勉強するうちにどんどん面白くなってきました。農家の人や専門家に電話でインタビューして原稿を作ったりするのが主な仕事でした。

編集長が厳しい人で、原稿はいつも修正で真っ赤になっていました。ただとても愛のある人で、いい教育を受けたと思います。現在も、農業の取材ができて、記事が書けるのはその経験があるからです」

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