37歳大阪で農業を営む男が「天職」に辿り着けた訳 フリーライターとの兼業で、したたかにたくましく

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伊藤さんはウェブニュースサイトに、農業にまつわる記事を書いている。

例えば、普段実際に農業をしながら疑問に思ったことを専門家に尋ねて記事にする。机上の空論ではない、地に足がついた内容だから読者からの受けもいい。

「自分が農業をするうえで知りたいことを尋ねるので、本気度がちがいます。取材で得た知識はもちろん農作業にフィードバックしています。だから非常に効率がいいですね」

(写真:筆者撮影)

現在、農家とフリーライターの収入を合わせれば、十分生活できるだけ稼げているという。

伊藤さんはなぜ、農家とフリーライターというやや異色な二足のわらじを履くスタイルになったのだろうか?

大阪の自宅で話を聞いた。

伊藤さんは京都市内で生まれ、小学生時代に天橋立が一望できる与謝野町に引っ越した。

もともと機織りでにぎわった地域だったが、伊藤さんが引っ越した時代には衰退していた。

「天橋立に転校したときに、母親にハイブランドの服を着させられ、珍しい茶色のランドセルを背負わされて、学校に行きました。そしたら速攻でいじめられました。

『都会からボンボンがやってきた!!』

という感じでしたね(笑)。幸い、すぐに打ち解けましたけど。

当時は、近所にはなんにもないし、最寄りのゲーム屋さんまでは自転車で1時間かかるし、田舎って嫌だなと思ってました」

小さい頃はやりたいことがなかった

将来、農業を生業にするのだから、小さい頃から土いじりに興味があったのだろうか?

「全然なかったですね。そもそも小さい頃から『何かをやりたい』というのがなかったです。

ただ高校受験はがんばりました。塾に気になっている女の子がいたので、その子が受けるという高校をがんばって受けたんです。結果、僕は合格したんですが、その子は落ちてしまって……。なんか好きな子にちょっと恨まれてしまって、夢も希望もなくなりました」

受かった学校は実家からは遠く、母親の妹の家から通うことになった。

「進学校だったのですが、成績上位を目指すのは早々にあきらめてしまいました。高校3年生になってもとくにやりたいものが見つからず、進学しやすいという理由だけで大阪教育大学の芸術表現専攻美術表現コースに進学しました。進学はしやすかったのですが、就職活動は難しい学部でした」

次ページ就職留年の末に
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