ペスト、スペインかぜ、コレラの物語を今読む意味 コロナ文学が今すぐ書かれなくても問題ない訳

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高橋:ひとりでも感染者が出たら家のドアに釘を打って閉じこめる。だから、その家の住人はみんな死んでしまう。行政がどう対応したのか、対応できなかったことは何か、その中で個人がどう判断して行動していたのかが克明に書いてあります。

斎藤:17世紀のロンドンのほうが行政がちゃんとしているところもあるんだよ!

高橋:食料も最後までちゃんと供給し続けているしね。今の東京よりいいよ(笑)。市長が危険を顧みず前面に出て活動する場面がちょっと感動的。行政の責任を果たしているよね。ぜひ参考にしてほしいです。

斎藤:まったくですよ。

『ヴェニスに死す』が読み解く作家の本能

高橋:それから、感染症文学というとトーマス・マンの『ヴェニスに死す』(1912/岩波文庫他)もありますね。

斎藤:コレラなんですよね。

高橋:今読むとこれもすごくおもしろい。主人公はグスタフ・アッシェンバッハという老作家──といっても59歳。これも今回、気づいたけれど、ぼくよりほぼ一周り年下で愕然としました(笑)。旅先のヴェニスで同じホテルに滞在している美少年を老作家が追いかける話なんだけど、まわりからだんだん観光客がいなくなっていくんです。あるときホテルマンに、危険なので旅立たれたほうがいいですよとそっと言われる。ヴェニスでコレラが発生していたんだよね。それでも結局彼は残ってヴェニスで死んでしまう。

斎藤:コレラで死んだんでしたっけ?

高橋:死因は書いていません。発病もしていないからコレラではないと思います。ヴィスコンティの映画では心臓麻痺でしたけどね。とにかく主人公は、最後、ヴェニスに残ることに決めるんです。以前は、その美少年を求めて残ったんだというふうに読んでいたけど、今読むと作家の責務として残ったように思えました。外国人観光客がまったくいなくなった不思議な街ヴェニスを見届けるというふうにも読めるんだよね。

斎藤:緊急事態宣言下の島みたいな話ね。

高橋:ロッセリーニの映画じゃないけど、「無防備都市」になったところに、つまり、なにものかに占拠されて自由を奪われてしまった場所に、目撃者としていたい。それも作家としての本能の1つだと思います。でも、そのことをはっきり書くと、ただの記録になってしまう。だから何のために残るのかはっきり書いてはダメなんですね。

斎藤:それはダメですね。一方、日本の感染症文学はそんなに……。

高橋:あまりないんだよね。

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