現在、ウクライナ情勢は「平和」についての省察を国際社会に迫っている。中国は主権と領土の保全を強調して外交による問題解決を主張しているが、国連安全保障理事会と国連総会におけるロシア非難決議を棄権した。
一方、中国国内では、歴史学者たちがロシア政府とプーチン大統領に対して戦争停止を呼びかける声明をSNSで公表した。党や政府とは異なる民間の声に注目すると同時に、その声明が当局によって削除されたことも指摘しておきたい。SNSで拡散と削除が繰り返された様子から垣間見えるのは、中国社会の深層部に確かに存在する地下水脈のような民間の声であり、中国社会の多様性と複雑さの一端である。
「普遍的価値」をめぐる対話にむけて
2008年「日中共同声明」に明記された「普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力する」という合意に基づいた対話は可能だろうか。「普遍的価値」の理解と追求は容易ではないが、緊密な協力こそが共通の利益を獲得するための戦略的選択であると再認識する必要がある。
対話の手がかりは、「普遍的価値」という抽象的な概念を具体的に実質化することにあるだろう。コロナ禍とウクライナ危機という世界的な問題に直面し、国内では少子高齢化という共通の社会的課題を抱える中で、日本と中国は「平和」「安全」「発展」などの共通の利益を「普遍的価値」として対話する基盤を共有している。
留意すべきは、「価値観」をめぐる議論は内政干渉という批判を招くことだ。北京冬季五輪では、中国の人権問題を非難した外交的ボイコットが注目された。日本は衆議院本会議で「新疆ウイグル等における深刻な人権状況に対する決議案」を採択し、中国は強い抗議を表明した。1989年の天安門事件以降、日本の対中政策において「人権」は重要なファクターであり、近年は経済安全保障の観点からも注目されている。だが、日本社会で「人権」を含めた「普遍的価値」をめぐる議論が国民に広く共有され、深化しているとは言い難い。
「普遍的価値」をめぐる対話は、自省的かつ相互補完的であるべきだ。ウクライナ情勢について考え、新疆ウイグル自治区における人権状況や香港の民主主義について思考する際に問われるのは、日本の「市民社会」の成熟度である。
国交正常化50周年をむかえた日本と中国は、世界平和に対する一層の貢献が求められている。是非曲直について率直に議論する「諍友」として対話を継続し、利害の対立や冷戦思考を脱却し、共通の利益を模索するための戦略的選択を積み重ねる必要がある。
(及川淳子/中央大学文学部 准教授)
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