ディルバイ・アンバニ氏は出稼ぎに出ていたイエメンの会社で働いた後1958年にインドに帰国。ムンバイで香辛料のビジネスを開始した。続いて繊維工場を開設し、ポリエステルの製造に着手。2、3年でインド人なら誰でも知っている繊維ブランドにまで育てあげた。
続いて「Only Vimal」ブランドのアパレル製品を販売する、インド初のフランチャイズ店の展開にも着手。1970年代にはわずか1日で一気に何百店も開設するほどの勢いだった。1977年には国内で株式公開(IPO)を果たし、当時としては巨額の資金調達に成功。米国で50年や100年といった超長期社債を発行した企業でもある。現在は傘下123社に9万5000人の従業員が働いており、インドの雇用にも大きく貢献している。
2人の息子は激しく対立
巨大企業を作り上げたディルバイ・アンバニ氏だが、後継者選びの面では十分に準備できなかったようだ。1986年に深刻な心臓発作を患ったことから、ディルバイ氏はグループを長男のムケシュ氏と次男のアニル氏(1959~)に託した。
ところが2002年に父親が亡くなると、兄弟は経営権をめぐって対立。その結果、ムケシュ氏率いるリライアンス・インダストリーズ(石油・ガス、繊維など)とアニル氏率いるリライアンス・アニル・ディルバイ・アンバニ・グループ(通信、金融、電力など)の2つに分割された。分割後も兄弟の対立は続いており、両者が一族の財産をめぐって法廷闘争を繰り広げている。新聞の見出しには、兄弟のどちらかによる相手に対するコメントが頻繁に掲載されている。
また、そもそもアンバニ一族の急速な発展については、インド国内でも議論の的だ。かつてライセンス・ラジ(許認可による統治)と揶揄され、インドのあらゆる経済活動が政府による許認可制度のもとにあった頃、ディルバイ氏は他の実業家以上に、「環境を管理する」ことの重要性を理解していた。環境を管理するとは「すべての利害関係者を幸せにする」という意味の婉曲表現。政府や官僚へのさまざまな「配慮」にディルバイ氏が腐心していた様子がうかがえる。
ただ議論があるとはいえ、非常に多くの投資家がリライアンスへの投資で継続的に利益を得ているのも事実。また、通信事業で500ルピー(約930円)という超低価格の携帯電話を販売しオートリクシャー(三輪タクシー)の運転手までもが携帯を持てるようにするなど、消費社会の変革に大きな貢献を果たしているのも誰もが認めるところだ。
ディルバイ氏はグジャラート州の出身で、その点はナレンドラ・モディ首相と同じだ。アンバニ一族は、モディ政権を物心ともに支援する間柄で8月末の首相来日時には、ムケシュ・アンバニ氏も同行する予定だった(ギリギリでドタキャン)。新興財閥として、力強いインド産業の象徴ともなったリライアンス・グループがモディ政権下でどのように発展していくのか、目が離せない。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら