さまざまな要因で身体に障害を抱えた人に対し、歩く、座る、立つ等の基本動作能力の回復や維持などを目的として、医学的リハビリテーションを提供する理学療法士。
小野さんの通っていた高校は、進学校として知られる地元の公立高校だった。ゆえに、それまでは「周りと同じように、普通に地元の国公立大学を目指して、勉強して入学して、その後も地元で就職……という人生を考えていました」とのことだが、理学療法士が国家資格が必要な仕事だと知ったことで、堅実な性格の小野さんの気持ちは傾いていった。
「両親から『資格があったほうが、何かとつぶしがきく』と勧められたことや、『3年制の医療短大のほうが、4年制の国公立に行くよりもお金がかからず、早く就職できる』という気持ちが自分の中で強くなって、地元の医療短大への進学を決意しました。
高校の先生からは、止められていましたね。正直、当時の僕の学力なら国立大学や、都市部にある医療系の専門学校も目指せたので。でも、『実家から通える距離にある学校』というのが一番大事な条件だったんです。一人暮らしするとそれだけお金がかかっちゃうので、ほかに選択肢はありませんでした」
なお、小野さんの家族は両親、小野さん、7歳下の妹、9歳下の弟という構成である。本連載6回目にして、すでに3人目の「3人以上のきょうだいの長男」だ。
成績優秀で授業料免除の時も
話を戻そう。実家から通える距離とはいえ、入学金と授業料は必要だ。その結果、小野さんは奨学金を借りることとなった。3年間で借りた総額は約480万円。毎月13万円ほど振り込まれたが、それらはほぼ全額学費に充てられたという。
「結構な額のお金を、18歳の若者がドカンと借りたわけですが、当時は『40歳ぐらいまで、毎月ちょっとずつ返せばいいんだよね』ぐらいの気持ちでした」
ただ、3年という期間で多くのことを学ぶ医療短大での生活はかなり慌ただしかったようだ。
「4年制大学に進学した高校の友人の話を聞くと、僕の学生生活はとても忙しかったと思います。月火水木金、9時から16時半まで、すべてコマが埋まっていて、本当に高校とほぼ変わらない生活でした。
土日は一日中バイトです。飲食店でホールと調理のバイトをしていたのですが、土日は朝9時のオープンから出勤し、夜の23時くらいまで働いていました。でも、時給は850円なので1日の稼ぎは約1万円。平日も、週1~2回は授業後の18時から22時ぐらいまで働いていました。
でも、あくまでも学業優先だったので、月々の稼ぎは5〜6万円程度。そのうち、2〜3万円は貯金にまわしていました」
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