「紙の書籍がなくなるだって?冗談じゃない」 小さな総合出版社、三島邦弘氏の闘争心

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──著者の多くは首都圏在住では。

東京で15年ぐらい編集を手掛けてきたので、どうしても著者は東京在住者が圧倒的に多い。京都ないし関西の著者は少しずつ増えている段階だ。

──昨年3月末に城陽から京都市内へオフィスを移しました。

城陽市で書店を開けて、そのことで人との出会いもたくさんあった。だが、出版業務はゲラを読むぐらいしか城陽でやれることはない。

「雑談」や「遊び」が本作りでは重要だったりする。理論的には城陽にいて、たまに東京に行けば出版の仕事は成り立つと思っていた。ところが、東京に行くと余裕がさほどなく、雑談していてはダメだと変な計算をしてしまう。思い返せば、本作りであの遊びの時間が大きかったなというところがしばしばあるが、その機会がどんどん失われていく。

考えてみれば、もともとは京都や大阪は出版が盛んなところだった。その衰退傾向に歯止めをかけることのほうが、できることはいっぱいあると気がついた。「出版不毛の土地をなくす」というお題目にこだわりすぎた気がする。ただ、いきなり京都市内は無理があったから、城陽という前段があって、京都市内でやろうという動きに結び付いたと思う。

東京ではできない出版活動を

──登記上の本社は自由が丘のままですね。

この地、自由が丘がミシマ社を育ててくれたとの思いがある。本社は変えるつもりはない。でも、京都に比重をかけ、京都において東京ではできない出版活動をしていきたい。

「失われた感覚を求めて」朝日新聞出版
1600円+税 319ページ

──城陽時代を「記号問題」をはじめ、本書で深く分析しています。

もともとメディアの記号志向に辟易していた。その多様な要素をそぎ落として一言にまとめるやり方から逃れようとしたが、地方に行けば行くほど記号を欲してしまう。権威主義を否定する人がいちばん権威主義的だったりするのと同じだ。記号を脱するつもりが、城陽という記号の力を強める動きを無意識に取っていた。大都会はそれだけで場に力があるので、多面的で多様でいられて、一つの記号を強めようとしなくていい。メディアもそういう場でやっていくと、多様なものが拾え、形にできるのだなと実感した。

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