接触コミュニケーションは、職場で異性社員に肩が触れたくらいでセクハラ扱いされかねないように、しばしば性的な意味を与えられてしまいます。その中で唯一、社会的に性的意味を持たないと認められているのが「握手」です。「握手」だけは性別を超えた「友情」や「親愛」の意味を持つため、たとえ若い女性が不特定多数のファンと多重に行っても、社会的批難を受けることはありません。
そして、ファンは「握手」という1対1の行為をメンバーとした経験で、先ほど無粋なオジサン視点で指摘した物語意識の弱点を乗り越えることができます。実際に、握手会の常連ともなると顔を覚えてもらうこともあるようで、そこまでいけば物語にも実体が生まれるというものです(それがどれほどそのメンバーにとって重いものかどうかは別ですが)。
こうして、AKBはファンがメンバーと「自分の物語」を作ることを支援します。
AKB48はけっこう地道なビジネスである
こうした「推しメン戦略」によって、数百人のメンバーがしのぎを削るAKBというプラットフォームは、ファンにとって自分を支えてくれるような大事な物語の枠組みになり、そしてそれがひとり当たりの支出額、ICT用語で言えばARPU(Average Revenue Per User) というやつを大きくしていきます。
その高いARPUの多くのファンがAKBの人気の核心であり、マスメディアはだからこそAKBのメンバーを取り上げます。そして、新たなAKBのファンが生まれ、そのうちの一定割合は、ここで説明したような「物語」を持つ深いファンとなり、またAKBの人気は膨らむわけです。
AKB48は今でこそ、マスメディアでメンバーの姿を毎日目にするような有名グループとなっていますが、その成長劇と仕組みを見れば、極めてリスクヘッジの効いた、地道なプロジェクトだったということも、また大事な側面かと思います。
AKB48が誕生した2005年、つまり、おニャン子クラブの解散から実に17年、秋元康の名前は、アイドルプロデューサーという意味では、伝説ではあっても過去の人でした。マスメディアもAKB48のメンバーを、今のように大々的に取り上げていたわけではありません。
芸能産業において、ライブは特別な意味を持つ
すでに指摘した「常設劇場」という仕組み、つまり秋葉原のAKB劇場というドンキホーテ秋葉原店の上に間借りした小さなステージというのは、こうした事情の中で選択されたソリューションでした。ステージビジネスのコストの大層は、その設備費にあります。それを小規模ながら常設で確保することで、 AKB48は、今の規模感からは想像できないでしょうが、細く長くやっていくプロジェクトとして設計されていました。劇場にはカフェスペースが併設され、そこでメンバーが売り子をすることもありました。
私たちは自分がよほどファンであるアーティスト以外のライブに行くことがないため気づきにくいことなのですが、実は、芸能産業において、ライブは特別な意味を持ちます。それは、歌手であれ、俳優であれ、そしてアイドルであっても、ライブは、その人の技能や精神をいちばん鍛えてくれる機会として重要だということです。
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