日本人がわかってない欧米流リーダー育成の凄み 問題解決能力を養うディベート力が必須のスキル

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まずは、1933年に行われた、最も有名な「国王と国家」のディベートです。第2次大戦の開戦前で、ヨーロッパの緊張が高まる中で実施されました。このとき、オックスフォードの学生たちは、「いかなる状況でも国王と国家のために戦わない」という採決をします。

この結果を基に、ヒトラーは「イギリスの若者は士気が高くない」と考えたという伝説があります。ディベート結果がナチスのヨーロッパ侵攻を決意させたというのです。また、大戦中の首相チャーチルは、このユニオンの結果が「イタリアの独裁者ムッソリーニを決心させた」と国会で糾弾しました。このユニオンの決議は後に「オックスフォードの誓い」として広がり、平和運動を進める世界の学生の大義に使われます。

この採択の中心人物フットは、ユニオンの代表も務め、卒業後は労働党の政治家として活躍し党首になります。

黒人の差別問題に目覚めたイギリス?

2つ目は、急進的な黒人解放運動の指導者マルコムXが参加した1964年のディベートです。当時はまだ、オックスフォードは白人富裕層の子息が主流と考えられていました。このような状況で、過激派と見なされる黒人指導者に発言させることは物議をかもしました。

このとき、ユニオンの代表は元イギリス植民地ジャマイカ出身のエイブラハムです。彼は、黒人の差別問題をイギリスの人も直視すべきだと考え、ユニオンのメンバーを説得し招聘を決めました。

このユニオンでのディベートはテレビ放映されます。急進的になるしかない黒人側の意見を、初めてじっくりと聞いた人も多くいました。黒人解放運動がまだ黎明期の時代に、差別される側の代表も招聘し、「自由に議論をする」意義を人々に認識させます。

エイブラハムは卒業後BBC放送の最初の黒人レポーターとなります。ジャマイカ帰国後は、ユニオンで身に付けたディベート力を活かし、最年少で政府高官になります。その後ジャマイカの経済自立の立役者として活躍しました。

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