「ファミレスも配膳とレジと掃除とか、いろいろあった。配膳だけじゃなくて注文を機械に打つとか、時間を決めて掃除するとか、接客とか、いろいろあって全然覚えられない。最初はちょっと物覚えが悪いだけと思っていたけど、ファミレスでも同じことが起こって人間関係が悪くなりました。居づらくなってカラオケに移ったけど、そこでもちゃんと仕事ができなかった」
どんな仕事をしても、出勤するたびに怒られた。できない自分が悪いことはわかっていても、どうしてもできない。改善しようがなかった。毎日、ツライ思いをしてストレスが溜まるばかり。仕事を辞めたくても、親は近所のコンビニやファミレスで必ずアルバイトをするようにいう。辞めること、逃げることは許されなかった。短大のとき、就職活動はしなかった。卒業後、親に勧められたビジネス系専門学校に入学、アルバイトを続けた。
「両親は毒親です。ずっとおかしいと思っていたけど、最近気づきました。いまは絶縁状態で、いっさいかかわっていません」
奈津美さんは両親の話になると、語気を強める。父親は大手企業のサラリーマンで、母親は専業主婦。どちらかというと裕福な家庭で過保護、過干渉だったようだ。
具体的には進学、バイト、就職は全部親が決める、GPSで監視される、子育ての一挙一動に口を挟まれる、みたいなことにウンザリしてしまったようだ。もっとこうしたいという自分の意見をいうと、両親共々に必ず否定される。「もう、もうあんたの面倒はみないから。学費は返してな」と脅されることで、いいたいことはなにもいえない。親のいうこと、決めたことに黙って従うしかなかった。
親子関係は破綻
両親は娘が仕事で失敗を繰り返していること、そしてADHD、軽度知的障害であることは理解してなかった。子どもの頃からいろいろできない娘を心配したのか過保護、過干渉が行きすぎたようだ。その関係は彼女に子どもが生まれ、母親になってからも変わらなかった。1年半前のコロナ禍の中、あることがきっかけで、奈津美さんは初めて両親に対して大爆発した。絶縁し、親子関係を破綻させている。
話を戻そう。親の勧めで就職ではなく、ビジネス系専門学校に行くことになり、ファミレスやカラオケのアルバイトを続けた。卒業後は、就職活動をすることになった。親が選んだ大手スーパー、全国展開するファミレス、飲食店などの採用試験を受けている。
「パチンコ屋だけに受かりました。ほかは全部落ちました。パチンコ屋に就職して、そこでも本当に仕事が覚えられなくて大変でした。大当たりのときに箱を交換するとか。普通の人はすぐにできたけど、自分にはどうしてもわからなくて、ホールで怒られすぎてカウンターの仕事に移されました。お金に関することなのでもっとひどくて、景品の渡し間違いとか、数え間違いとか。景品に飴ちゃんがあるけど、100個ずつ袋詰めしてっていわれて、ちゃんと数えられなかった。何度やってもわからなくなった」
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