前田利家「家臣にお年玉をねだる」超ドケチ事情 挙げ句の果てには「農民に行政を丸投げ」

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1万石=15億円として換算した場合、現代の貨幣価値にして約20億円もの負担であり、武器などの必要経費も入れれば、さらに、4〜5億円の出費がかさんだと考えられます。

理不尽なまでの献身を強いられても、秀吉からは謀反の嫌疑をかけられ続けるなどつらく当たられるのが政宗の常でした。そもそも、秀吉のねらいはリッチな伊達家の取り潰しだったのでしょうが。

徳川のおかげで伊達家の財力も復活

政宗が「関ヶ原の戦い」(慶長5年、1600年)で豊臣方を見限り、徳川方について戦った理由も、秀吉の守銭奴ぶりに辟易してしまっていたからかもしれません。

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徳川家康はつらい立場にいた政宗に、「銀100貫」を融資しています。家康はほかの豊臣方の大名たちにも救いの手を差しのべており、彼らの多くが「関ヶ原の戦い」で徳川方につきました。「人心掌握の名手」と聞いて豊臣秀吉を思い出す方が多いでしょうが、家康も負けてはいません。

金の貸し借りは昔から信用問題です。融資を重ねて、相手の心をも掌握していく…‥そ
れが家康の恐るべき“人たらし”のテクニックだったのでしょう。そうして家康に物心ともに掌握された中に、かつては「奥州の覇者」と呼ばれた伊達政宗も含まれていたのです。世間でいう“金の切れ目が縁の切れ目”とは立場が逆ですが、豊臣家を見限った政宗は徳川につきました。

「関ヶ原の戦い」の後も、徳川家との協力関係は想像以上にうまくいき、伊達家の財力も復活を遂げました。人口が激増する江戸の街で領内の余剰米を売った政宗は、毎年12万5000貫文(=約50億円)もの現金収入を得られるようになります(橋場日月『戦国武将に学ぶ「必勝マネー術」』)。伊達家の徳川家への忠誠心は、幕末まで変わることなく続きました。

堀江 宏樹 作家

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ほりえ ひろき / Hiroki Horie

大ヒットしてシリーズ化された『乙女の日本史』(東京書籍)、『本当は怖い世界史』(三笠書房)のほか、著書多数。雑誌やWEB媒体のコラムも手掛け、恋愛・金銭事情を通じてわかる歴史人物の素顔、スキャンダラスな史実などをユーモアあふれる筆致で紹介してきた。漫画作品の原案・監修協力も行い、近刊には『ラ・マキユーズ ヴェルサイユの化粧師』(KADOKAWA)などがある。

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