筆者は6年ほど前、四国各県の友人知人に「四国新幹線をどうみるか」と尋ねてみたことがある。彼らのほとんどから「現実味を感じない」、「まず在来線の電化が先では」といった感想が返ってきた。現地の空気は、当時と大きくは変わっていない様子だ。
無理もない。「2037年開業」を目標に掲げたとはいえ、現時点で「15年後の四国」を思い描くのも、その時の働き方やビジネスを想像するのも、一般的な暮らしを送る人々にとって容易ではない。
加えて、鉄道の存在感も問われる。例えば、九州新幹線の開業前、鹿児島市民にとって、鉄道は「街外れの駅から、近隣の都市へ出向く手段」とみなされていたという。やがて開業後、鹿児島中央駅が新たな市の中心部に成長し、人々の意識と暮らしは一変した。
高松市でも、鉄道が新たな暮らしや産業、経済活動の起点となるイメージを、地域が共有できるか。宇高連絡船の廃止時に匹敵する、「鉄道文化の再構築」が欠かせない。
新幹線は暮らしを守れるか?
新幹線の開業は、地域に「巨大な条件変更」をもたらす。すでに開業済み、もしくは開業を控えた地域では、並行在来線の経営分離や特急列車の廃止、新幹線駅の郊外立地に伴う都市機能分散、さらには建設工事による環境への影響といった問題が発生している。これらの多くは、四国新幹線でも発生しうる。
さらに、この2年ほど、新幹線が地域にもたらす変化をめぐり、興味深い研究成果が相次いで発表されている。
九州新幹線開業に伴う地域経済の変化を地価から検証した結果、都市間でも都市内でも、経済活動が活発だった大都市や特定の地域への人や企業の集積がさらに進んでいたという研究例。空路や新幹線の整備は、若者の転出につながる傾向があるという研究例。そして、北陸新幹線の金沢開業時、メカニズムは不明ながら北陸3県で人の動きが活発化し、首都圏への転出が激しくなった、という研究例――。
いずれもさらなる検討や議論が待たれるが、新幹線開業がもたらす変化は、本当に一筋縄ではいかないと痛感させられる。
四国新幹線への住民の支持や共感をどうたぐり寄せるか。新幹線が誘客や経済活動にもたらす効果に目を向けるだけでは難しいように感じられる。新幹線がもたらすネガティブな側面にも向き合い、「新幹線は暮らしを守れるか」「持続可能な地域社会づくりにつながるか」といった問いを丹念に積み重ねながら、対話や政策形成の作法そのものをバージョンアップさせていく――。そんな、息の長い取り組みが不可欠ではないだろうか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら