JR各社は3月、例のない新幹線の大幅な減便・臨時列車化に踏み切る。新型コロナウイルス感染症に揺らぐビジネスモデルを象徴する決断だ。逆風の中、それでも「2037年開業」の目標を掲げ、四国新幹線実現を目指す活動が根気強く進んでいる。
筆者は2021年12月、香川県の依頼で講演するために高松市を訪れた。現地では、「新幹線高松駅」の位置やイメージに踏み込んだ検討も始まっている。過去の経験や成功事例を踏襲しづらい状況下、懐疑的な空気も漂う中で、地域政策としての新幹線建設をどう構想するか。住民の支持と共感、さらには「新幹線は暮らしを守れるか」という視点がカギを握るように見える。
「どうしても呼び込みたい」
「四国新幹線をどうしても呼び込みたい。夢は大きく持っていきたい。全国各地に出かけて、新幹線沿線の実情を見て見たい」。高松市議の北谷悌邦氏は語る。
「北陸新幹線が金沢から大阪、さらに南下して関空まで伸びた場合に、そこから西に海底トンネルでつなぎ、淡路島、本来は鉄道併用橋である大鳴門橋を経由して、徳島、高松、松山、そして海底トンネルで大分までつなぐ『第二国土軸』を形成できるのでは」
高松市は人口42万人、かつては宇高連絡船が就航し、四国全体の玄関口として成長した。国や大手企業の出先が集積する景観が印象的だ。特に1988年の宇高連絡船廃止後、大規模に再開発された高松港一帯は「サンポート高松」の名で親しまれ、高さ約151mと四国一誇る「高松シンボルタワー」などがそびえる。
宇高と同じ「鉄道連絡船」の青函連絡船が就航していた青森港と函館港は、今も連絡船本体と遺構が残り、観光スポットになっている。対照的に、高松港には連絡船の名残はほとんどない。瀬戸大橋など本州と四国を結ぶ連絡橋に交通の主軸がシフトして30年余り、宇高航路を守っていたフェリーも2019年に姿を消している。
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