インターネットによって肥大化する各種メディアは、今やわたしたちの神経系統の一部として機能している。もはやそれを意識しないでいることが困難なことに気付く必要がある。昨年相次いだ一連の電車内における通り魔事件は、2015年の東海道新幹線車内で発生した焼身自殺による火災事件を起点にした模倣の連鎖にあると位置づけることができ、それはつい先日、東大前刺傷事件を起こした少年の駅構内での放火未遂にもつながる伝染性を秘めているともいえる。
それは多数の人間を殺傷する行為に希少な情報的価値があるという先のマスメディアの生態系を自然環境のように受け入れ、憎悪によって設えた最後の舞台で暖をとろうとする無謀な者たちによる断続的な狐火のようである。わたしたちは、大量殺人そのものに話題性を持たせることに公共性があるとする自動思考を即刻やめるべきだろう。
伝播効果を避けることを目的とする最良慣行指針
社会科学雑誌『ニュー・アトランティス』の編集者で、銃乱射事件に詳しいアリ・N・シュルマンは、2017年、ジャーナリズム研究機関のポインター・インスティテュートが承認した伝播効果を避けることを目的とするベストプラクティス(最良慣行)指針を推奨した。
「犯人の名前は必要な場合に限って伝える、イメージが美化される可能性を避ける、『史上最悪の』などの最上級表現を控える」などのマスメディア側の自制である(銃乱射事件、連鎖のわけ 世間の注目が引き金に/2017年11月24日/WSJ)。
ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は、多くの市民が殺傷された銃乱射事件について、「男はこのテロ行為を通じて色々なことを手に入れようとした。そのひとつが、悪名だ。だからこそ、私は今後一切、この男の名前を口にしない」「皆さんは、大勢の命を奪った男の名前ではなく、命を失った大勢の人たちの名前を語ってください」と演説した(ニュージーランド首相、銃撃犯の名前は今後一切口にしないと誓う/2019年3月19日/BBC)。これはレイトンのいう「不滅性」を少しでも骨抜きにしようとする試みの1つといえる。
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