凶悪犯を報じるほど次の凶悪犯を誘う社会の惨状 語るべきは命を奪い傷つけた犯人の名前ではない

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「凶暴な文化的英雄というアイデンティティの抜け道は、殺人者に称賛や愛情はほとんどもたらさないだろうが、大衆の敬意とマスコミの注目は確実に約束されている。それによって称賛や愛情の欠如は十分に償われるだろう。この特殊な意味において、殺人の価値と行動は、主流文化と完全な調和を保っているのである」(『大量殺人者の誕生』中野真紀子訳、人文書院)。

このようなアイデンティティを意識した凶悪犯罪は、日本では古くは1938(昭和13)年から見いだせる。横溝正史の小説『八つ墓村』のモチーフになった津山事件は、日本における大量殺人の代名詞にもなっているが、犯人が別の有名な事件に触発されたことはあまり知られていない。昭和初期の猟奇事件として名高い阿部定事件(1936〈昭和11〉年)だ。

男女の痴情のもつれによる殺人が一大センセーションのように報じられたためで、事件直後から犯人は新聞記事を熱心に集め、「阿部定は好き勝手なことをやって日本中の話題になった。わしがどうせ肺病で死ぬなら、阿部定に負けんような、どえらいことをやって死にたいもんじゃ」と周囲に語っていたという。作家の筑波昭は、「もしこれが事実とするならば、(略)凶行の動機には、結核による絶望と部落民への憎悪のほかに、強烈な自己顕示欲があずかっていたにちがいない」(『津山三十人殺し』新潮文庫)と述べた。

自らの存在の報われなさを癒やそうと

筆者は、筑波の説におおむね同意しつつもレイトンの秀逸な見解が真実に近いように思われる。「むしろ彼らは、殺人という社会的発言が一種の不滅性をもたらすのを承知したうえで、一息に続く爆発的行動によって復讐を果たし、死にたいと願っているのである」(前掲書)。

これを筆者なりに言い換えると、社会に永久に消えない傷を残すことによって、自らの存在の報われなさを癒やそうとするのである。昨年、ハロウィンと衆議院選挙の投開票日を直撃した京王線の刺傷事件で、犯行後に犯人が電車内でタバコを燻らせる動画がTwitterなどでシェアされ、一時的にタイムラインを席巻したが、このような注目のされ方こそが犯人が心底望んでいたことかもしれないのだ。

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