日テレAD→YD呼称変更も実態は変わりにくい事情 意識改革の狙いは理解できるが根本解決ではない

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とはいえ、呼称を変えたからといって「実態」が変わるのは難しいだろう。

番組をつくるうえでADが担ってきた業務は、結局は「誰かがやらなくてはならない」ことである。

コンビニへの買い出しなどは、ディレクター自身がやれば良いのだが、番組制作に関わるAD的な仕事が無くなることはない。

さらに「会議は22時まで」と言いながら、制作会社のスタッフはその後も「持ち帰って」制作会社のオフィスで会議を続けたりしている。

「徹夜の編集に付き合わせない」というルールも「テレビ局の目が届く範囲」では守られるが、納期まで時間がない番組では、制作会社内ではやはりADも一緒に徹夜の作業をしている。

つまり、「深夜に会議はしない」「徹夜編集にADを付き合わせない」は「テレビ局内」での適用ルールとなる。

局内はブラック職場的なことのない「無菌」状態にはなるが、制作会社などの外部まで無菌状態することは難しいだろう。ADから「YD」に呼称が変わっても、番組制作におけるスタッフの「総労働量」は減らないのだ。

そもそも予算がなく人数が足りない

さらに、そもそもどうしてADが「長時間勤務」を強いられるのかといえば「人数が足りない」からである。

ディレクターが徹夜で編集をするのは仕方ないとして、そこに付き合うADが過酷労働であるとするならば、人数を増やして交代制にすればよい。「夜までAD」と「夜から来るAD」と担当を割り振れば、夜勤というしんどさはあるものの、肉体的な負担は軽減されるだろう。

それができないのは、要するに「予算がない」からである。

テレビ局から制作会社に支払う番組制作費が、「十分な数のADを雇える額」であれば労務環境も改善されるだろう。

さらに「キツい・安い」というADのイメージも、呼称を変えることなく向上するに違いないのだ。

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