日テレAD→YD呼称変更も実態は変わりにくい事情 意識改革の狙いは理解できるが根本解決ではない

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

だがADは本来の「ディレクターの補助」以上に、「雑務」のイメージが強くなっているのも事実だろう。

「おいAD!」と呼ばれ、深夜のコンビニに買い物に走らされる。

編集室とスタジオの往復で、もう何日も家に帰れず、寝るのはテレビ局の廊下のソファー……。

さらに追い打ちをかけるのが「低賃金」ということで、ADといえば〝ブラック職業〟の代表格に思われているのも事実だろう。

私が担当していた朝の生放送番組でも、徹夜作業だったADが放送用のVTRを持ったままトイレの個室で「寝落ち」してしまい、危うくOA(オンエア)に間に合わなくなる、というようなこともあった(先輩ADやディレクター陣が大捜索をして発見され、OAには何とか間に合った)

今回の日テレによる「AD呼称廃止」は、これら一連のADに対するイメージを払拭しようという意図があるのだろう。

ADの深夜業務も抑制

実際に、日テレでは数年前からADがディレクターの編集に「深夜まで付き添う」ことを禁止した。「徹夜の編集にADを巻き込むな」ということである。

また局内での会議も「原則22時まで」というルールができている。「ダラダラと遅くまでスタッフを拘束するな」という趣旨である。

「会議を遅くまでやるな」というのは個人的には大賛成であり、私自身「村上の番組は会議が短い」とつねに言われるほどパパっと終わらせるタイプだった。

一方で、かつて萩本欽一さんはご自身が納得するアイデアが練り上がるまで、何時間も、深夜まで悩み、考え続けていたという。スタッフもプロデューサーからADまで全員同席である。

「労務環境」としていささか問題はあったと思うが、あの「欽ちゃん」の面白さはそのような場所から生み出されたことも事実なのである。

しかし、昨今の「働き方改革」に沿って、劣悪(と思われる)な労務環境は改善することが、テレビ界にとっても「正解」になっている。

そのためにも「ブラック職場的」とされているADのイメージを向上させる。

「呼称変更」は、そのための第一歩であり、当初は「ネーミング先行」と言われることも承知で、まずは呼称変更に伴う「意識改革」を狙ったものだろう。

おそらく「株主対策」という生々しい事情も背景にはあると思われるが。

それゆえ私は今回の日テレによる「呼称変更」を「やや理解できる」としたのだ。

次ページとはいえ、「実態」が変わるのは難しい
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事