「派遣する側」「派遣される側」経験した男性の主張 「派遣はいつまでも続けるべき仕事じゃない」

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派遣会社で働きながら、派遣で働き続けることは勧めないというタツヒサさん。「自分が作った製品も満足に買えないような給与水準で、その製品を作っている工場で働かせるって、なんかおかしくないか?という思いもあります」(筆者撮影)

このころは関係が悪かった両親のもとを離れて1人暮らしをしていたので、家賃滞納でアパートを追い出されたこともあった。当時付き合っていた女性からは「仕事が見つけられないのは、あなたが不真面目だから」と三くだり半を突きつけられた。1日1食でしのぐ日もあったのに、安価な炭水化物中心の食事に偏ったせいで60キロ台だった体重は90キロを超えた。八方ふさがりの中、「落ちるところまで落ちたな」と感じたという。

タツヒサさんが貧困状態から抜け出すことができたきっかけは実にあっけなかった。数年前、リーマンショックの前まで勤めていた派遣会社の元上司から戻ってこないかと声をかけられたのだ。元上司はタツヒサさんの仕事ぶりを認めてくれた、社内でも数少ない人だったという。

この会社で、タツヒサさんは自らの意思を貫いた結果、社内で浮いてしまった。一方で巡り巡って当時の努力とこだわりが復職につながったともいえる。

「自分の努力が3割、運が7割」

タツヒサさんは再び安定した仕事に就けたことを「自分の努力が3割、運が7割」と受け止めている。「私の働きを覚えてくれている人がいたのは運がよかったとしかいいようがありません。でも、3割の努力がなければ、その運もめぐってこなかったと思うんです」。

タツヒサさんなりの“成功の秘訣”である。それは現在、派遣で働いている人たちにも通用するのだろうか。

「工場や倉庫での仕事は単純作業かもしれませんが、その間に在庫管理や倉庫整理、受注・発注処理の仕組みまで関心を持って、できれば経験もさせてもらってみてはどうでしょうか。派遣先は大手企業の系列であることも多い。きっと次の仕事探しに生かせるはずです。そして与えられた仕事が終わったら、自分から『何か手伝うことはありませんか?』と聞いてみてください。そういう努力はいつか誰かの目に留まると思います」

一理あるようにもみえる。しかし、派遣はあくまでも労働力の提供である。持論にはなるが、不安定雇用というデメリットをそのままに、本来業務以外のことまで進んでこなしていては、ただの使い勝手のよい人になってしまうのではないか。人間らしい暮らしができない一部の派遣労働の枠組みがおかしいのであり、派遣の優等生になる必要はない。個人的には劣悪な雇用には、もうそろそろ働き手の側からボイコットを仕掛けるべきだと思っているくらいだ。

これに対し、タツヒサさんは「私も、派遣は『ネガティブリスト』から『ポジティブリスト』に戻すべきだと思います。でも、現実には与えられた環境の中で努力をしなければチャンスもつかめないと思うんです」と言う。

長引く不況の中で、労働者派遣法が規制緩和され、派遣可能な業務だけを指定した「ポジティブリスト方式」から、禁止業務だけを指定した「ネガティブリスト方式」に転換、原則自由化されたのは1999年のことだ。制度改正が一朝一夕には望めない以上、タツヒサさんの提案は現実的ではあるのかもしれない。

「踏み台にするつもりで派遣会社を利用してほしい」

派遣する側も、派遣される側も経験したタツヒサさんからのエールである。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。
藤田 和恵 ジャーナリスト

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ふじた かずえ / Kazue Fujita

1970年、東京生まれ。北海道新聞社会部記者を経て2006年よりフリーに。事件、労働、福祉問題を中心に取材活動を行う。著書に『民営化という名の労働破壊』(大月書店)、『ルポ 労働格差とポピュリズム 大阪で起きていること』(岩波ブックレット)ほか。

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