うん?昨日、同じ質問があって、ちゃんと答えたのになあ、と思いつつ、答えた。「ええ、ハーマン・カーンさんという人は、21世紀は、日本の世紀だと言っている、アメリカのハドソン研究所の所長で、未来学者です」。昨日と、全く同じことを言った。松下も、昨日と同様に「そうか」と答えてくれた。
ところが、その翌日もまた、全く同じ質問。同じ答。
私は、なにを連日3回も同じことを聞くのか。こちらはちゃんと答えているのにと思うと、ふつふつと腹が立った。その思いのまま、夕方、松下が帰宅する車を見送った。
ところが、見送りながら、突然に、私は、ちょっと待てよ。松下が何回も同じことを聞くということは、もっとほかの情報がないか、ということではないか。いや、そうではないにしても、明日も聞かれて、同じ答えをする。これは能のない話だという思いが、私の心を突き抜けた。そこで、すぐに本屋に走った。そして前述の『紀元2000年』の本を買い求め、644頁を徹夜同然で、懸命に飛ばし読みした。そして、B5三枚に要点をまとめ、加えて、カセットテープに吹き込んだ。
翌日は、心のなかで、ひたすら同じ質問をしてくれることを願った。4日連続で聞くはずもないかと思いつつ、期待しつつ、昼食になった。
雑談をしていると、果たせるかな、「こんどな……」。私は松下の言葉を遮るように「ハーマン・カーンさんですね」「そや」。ならば、ということで、私は、徹夜でまとめたものを報告した。松下は、昼食の箸も取らず、じっと聞いてくれた。「偉い人やな。ようわかったわ」と言いつつ、さらに確認や、質問をしてきた。調べた範囲で答えた。そして、松下に、吹き込んだテープを渡した。
すべてを物語る言葉
翌朝、車を迎え、ドアを開けると、降りてきた松下が、私の前に立って、私の顔を、じっと見つめる。思わず、身体が硬直、直立不動していると、松下は、なおも私の顔を見つめながら、「きみ、なかなか、いい声、しとるなあ」と言った。
その瞬間、私は、身が震えるほど感動した。その言葉が、昨日渡したテープを聞いた、ということだけではなく、よく気が付いたな、よく調べてくれたな、内容もよかった、さらに、テープに吹き込んでくれた、ありがとう、ということなど、すべての思いを込めた一言であると直感した。
そして松下が、自分の思いを気づくまで、辛抱強く、質問を重ねてくれたんだということ感じた私は、そのとき、ああ、この人のためなら、死んでもいいとさえ思った。
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