週3日の滞在が義務づけられているだけだと報じられたのも納得だ。そのうえ、いま使われている家では、男子が風呂に入るのに女子部屋を通り抜けなければいけない構造になっているとさえいうではないか。テラハの家は、性別間の機密性すら希薄な構成なわけで、無性の空間と言える。
政治思想史学者・原武史はその著書『団地の空間政治学』(2012年)で、ルポライターの竹中労などを引きながらニュータウンにおける性の重要性に何度も注意を促している。若いカップルは音の漏れにくいコンクリートの箱の中に喜び勇んで入っていき、そこで子育てを始めたのだった。今でも、多くの若者が親元を離れて一人暮らしをしたいと言い出す理由は突き詰めれば(あからさまなかたちじゃないにせよ)性的欲求に違いあるまい。若者に限らないが、近代的な性欲は個室を要求するのだ。それと比較するとテラハの無性の空間の異様さはますます際立って見える。
成立したカップルは2組だけ
これまでカップルが1組(原稿を上げた直後の放送で2組になったらしい)しか成立していないというのは別に驚くべきことじゃない。実際、その1組である宮城大樹・今井華のカップルも、その家に住んでいる以上、キス以上の関係はありえなかったことを明かしている。宮城が誘ったのに対して、今井は「ここどこだと思ってんの?」とあしらったというのだ。空間は間違いなく性的な関係性をも規定している。だからこそ、恋愛禁止のハズのAKB48からの参加者がいたり、また彼氏持ちの参加者がいたりしたのだろう。
その意味では、参加者も視聴者も恋愛に注目し、しかもそれを恋愛主体の「あいのり」に重ね始めた時点で、ねじれは生じていたと言えるのかもしれない。ルームシェアブームの火付け役の一つだったフジテレビドラマ「ラスト・フレンズ」(2008年)が、DVや性同一性障害などの問題に正面から向き合うことで注目を集めたことを思い出したい。もし個室を中心としたルームシェアではなく、違ったかたちの空間を生かそうとするのであれば、性への向き合い方にもそれなりの覚悟が必要だったんじゃないだろうか。まぁ、セクハラなんかがうわさになってるようじゃあ、まだまだだよね。
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